>>716
嘘つきのお前が日本人なら残念だが

闇買いを拒否し餓死を選んだ二人

食糧不足により配給される食糧はきわめて乏しく、成人一人あたりの米の配給量は2合1勺(約300グラム)しか有りませんでした。
また、2合1勺の米も、ほかにイモとかカボチャなどの配給があれば減らされ、さらに一週間から一ヶ月におよぶ遅配はしょっちゅうでした。
このため、飢え死にしないためには、法律で禁じられている闇米を利用しないわけにはいかなかったのです。
この時期、闇米を買わなかった家庭は殆どなかったといっていい。
そうしたなかにあって、断固として闇買いを拒否し、餓死を選んだ人物が二人いるのです。

一人は、東京高校(旧制)のドイツ語教授亀尾栄四郎さんで、
「いやしくも教育者たる者、表裏があってはならぬ。どんな苦しくても、国策に従う」という固い信念のもとに配給の食糧だけで六人家族を養っていました。
しかし、六人が三日間に食べる配給がネギ2本といった状況では、どうしょうもなかった。
教授は、自分は殆ど食べずに、子供たちに食物を与えていたが、ついに力尽き、昭和20年10月11日に亡くなりました。

もう一人は、山口良忠判事です。
食糧難で国民のほとんどがヤミ買いをして生き延びていたとき、配給だけで生活をしていた一人の判事が死亡、世間に大きな衝撃を与えました。
この判事は、東京地方裁判所で食糧のヤミ売買を中心にした経済統制違反を担当する山口良忠(34歳)で、昭和22年10月11日のことです。
山口さんの死は,『朝日新聞』の記事がなければ、おそらく世に知られることはなかったでしょう。
死後二十日余りたった11月4日朝日新聞西部本社が山口さんの死をスクープ記事で報じたのです。
ですがこれは、「朝日新聞」といっても地方版の記事で、目にする人も限られていて、翌5日東京版が記事にしてから、がぜん大きな話題になりましました。