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西鶴が日本永代蔵で描いた豪商は四代目重当(1634-1697)のころで、元禄から正徳年間の事件を書き
留めた『元正間記』に「大書院、小書院は総体金張り付き、金襖(きんぶすま)に極彩色の四季の花鳥を描かせ、
・・・夏座敷と名付けたものに・・・外来品のビードロ(ガラス)の障子を立て、天井もまたビードロ張りにして、そこ
に水をたたえて金魚を放ち、寝ながらそれを眺められる」とあり、百万石の大名に匹敵する財力を持つまでになっていた。

五代目広当(1683-1717)が取り潰しという闕所(けっしょ)処分になったのは宝永2年(1705)のことだ。当時の資産
は諸説あるが、金12万両、銀12.5万貫、土地が北浜に2万坪、伏見、和泉、八幡などに400町歩、家屋1万坪、
米蔵など730戸、材木2千貫、千石船150、屏風、鉱産物、美術品、薬種、刀剣など。大名への貸付金は銀1億
貫あったとされ、いまの価値に換算すると、100兆円という試算がある。広当は財産没収、大坂三郷所払いとなった。
これで財政難の幕府は一息つき、諸大名は借金が帳消しになった。