>>401
富山県婦負郡八尾町(現・富山市八尾町)生まれ[2][注 1]、富山県高岡市(小学生から中学2年まで[9])と京都市育ち。
パパドゥ所属。高岡市立二上小学校[1]~京都市立花山中学校卒業[1]。

来歴・人物
高校教員の父と母の間に生まれるが[2]、11歳小学校5年時に父が愛人を作り[2]、
両親が離婚[2][10]。ここから人生が暗く傾斜していく[2]。

中学校2年で母親の育児放棄に伴い、中学3年のとき[2]、母方の親戚を頼り[2]、
母・兄と3人で京都に移り住む[10](暮らしは非常に貧しく、京都で住んでいた家は窓の裏が崖であった[10])。
内職やアルバイトをする日々だったという[10]。高校進学は母に拒否され家出[2]、
以降3年間自活し[2][3]、京都で様々な仕事に就く[2][3]。 18歳で上京し、飲食店などに勤務[10]。
1970年の秋から[1][2]、1年間[1][2][3]、銀座の高級クラブ「徳大寺」[注 2]でホステスとなり[2][3][13]、
源氏名「レオ」として働いていたとき[1][2]、客に[2]スカウトされる[2][14]。

芸名は「風に吹かれたように出てきたから風吹」「語呂がいいからジュン」[14]。
「ハワイに行ったのが6月(June)で、風が強く吹いていたので、合わせて命名した」[1]。

16歳からパパ活してた
1人で生き抜いた