デモフェーレス きみは大衆のおそまつな能力をじゅうぶんつかんでいないよ。

フィラレーテス ぼくはただ希望としてそう言っただけなんだが、この希望は捨てるわけにはいかな
い。この希望が実現すれば、単純で理解しやすい形の真理は、宗教が長いあいだ代理的に占めていた座
から宗教を突き落とし、宗教が真理のためにあけておいてくれた座におさまることになろう。そうなれ
ば、宗教はその任務を完遂し、自分のたどるべき道程を完走したことになり、成年に達するまで導いて
きた人びとを手放して、みずからは静かに消え去ることができよう。これこそ宗教の極楽往生だろう。
しかし宗教が生きているかぎり、二つの顔をもちつづけるわけだ。真理の顔と、虚偽の顔だ。そのどち
らかに注目するのに応じて、宗教を愛する人もあろうし、また宗教を敵視する人も出てくるだろう。だ
からわれわれとしては、宗教を一種のやむをえない禍とみざるえない。それがどうしても必要だとい
うのは、真理を把握する能力のない、したがってまたさし迫った場合には、真理の代用品が必要となっ
てくる大多数の人間のあわれむべき精神の弱さにもとづいているわけだ。

デモフェーレス 正直なはなし、きみたち哲学者が真理をもうすでにできあがったかたちでもってい
るとしたところで、そいつを把握するのが問題だってことも、考えてみるべきじゃないか。