渋沢は、産業らしい産業が皆無であった明治期の日本で、実に500を超える企業の設立に携わり「日本資本主義の父」とまで呼ばれているほどの財界人だ。

そして同時代に活躍した財界人に、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎がいる。
三菱財閥の初代総帥として国の発展を支えたが、その後の三菱グループの発展に多くの言葉は要らないだろう。
日本勃興の近くには、いつも岩崎と三菱の影があった。

そんな明治を代表する二大巨頭だが、渋沢は38歳のある日、44歳であった岩崎から料亭に呼び出されてこう持ちかけられる。

「2人が組めば、日本の実業界を思うままにできる。一緒にやって大金持ちになろうじゃないか」

これに対し渋沢は激怒し席を蹴り、以降二人は長年に渡り反目し続けることになった。

なぜ、岩崎弥太郎ではなく、渋沢栄一が新一万円札の顔に選ばれたのか?