習 近平
1953年に陝西省で生まれた。1965年中学校である北京市八一学校に入学したが、1966年の文化大革命の発生により、学校が解散された。このことにより習の学校教育が中断された[10]。習は世界最強の囲碁棋士の一人に数えられる聶衛平と北京25中学からの友人で、聶によれば人民解放軍少将の劉衛平との3人で「北京25中学の三平」と呼ばれていたとされる[11]。八大元老でもあった父、習仲勲が迫害された文化大革命において反動学生として批判された。紅衛兵によって十数回も批判闘争大会に引き出され、四度も監獄に放り込まれた[12]。

1969年から7年間、陝西省延安市延川県に下放されるなか、1974年に中国共産党に入党した。下放された同地で生産大隊の党支部書記を務めている。1975年、時は文化大革命の期間中で、全国普通高等学校招生入学考試が中断しており、中学1年以降に正式な教育を受けていない。しかし、「工農兵学員」という模範的な労働者や農民、兵士(個人の政治身分)の推薦入学制度を経て、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学し、有機合成化学を学んだ[13]。

凄すぎる・・・カッコいい
相当理不尽な人生だったろう
あの姉ちゃんは甘いよ