巨大古墳は公共工事の跡!?
大阪府堺市にある仁徳天皇陵をはじめとした巨大古墳群は我が国にはたくさんありますが、
それがいったい何のために作られたのかと言えば、ズバリ「水田開墾のための土木工事のため」だったのではないでしょうか(^^)d
仁徳天皇陵もそうですが、そもそも巨大古墳は日本列島の面積の7割を占める山間部には1つもなく、基本的に平野部にしかありません。
平野部といっても、今でこそ平野になっていますが、原始のままなら相当に凸凹と細かい起伏のある地形だったのではないでしょうか。
あるいは、竹村公太郎さんが『日本史の謎は地形で解ける』に書いておられるように、
見渡す限り一面に葦が生い茂るジメジメとした湿地帯だったのかもしれません(おそらくこちらのほうが当たっていると思います)。
そういう土地で自分達が生きていく上で必要となる食糧(特に米)を作るためには、自分達の手で水田を開墾しなければなりません。
そのためには、まず、全部の土地を水平にならさなければなりません。水田は水を使うからです。水平でなければ水が流れていってしまって貯まらず、水田にならないからです。
そして水田には水を引く必要がありますから、水路や用水池の整備も必要です。しかも平野部は大雨のときの水害に弱いですから、
その対策には、河川に堤防も築かなければなりません(もしかしたら、河川の付け替えだってやったかもしれません)。
するとあたりまえのことですが、大量の土砂が発生します。そうした土砂は、今の時代ならダンプカーで沿岸の埋め立て地にでも運んで投棄しちゃいますが、
昔はダンプカーなんてありませんから、開墾地のすぐ近くに計画的に盛り土することにより廃棄処理をすることになります。
その時にちょっとした遊び心が芽生えて、円墳や方墳、八角墳や前方後円墳といったその時の流行に合わせて様々な形状に盛ってみた。
これが今の時代まで残り、『古墳』と呼ばれるものになったのではないでしょうか。
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