落語の解説書には「粗忽長屋」は幾らなんでもそんな訳の分からねえ奴が居るわけねえだろうと客が思ってしまうのが難しい とか大概書いてあるが
自分が落語評論家じゃなく只の客だった頃を思い出せば、そんな面倒くせえことを考える客はいない