・市況スレ公式認定アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の基礎的概念構成とアルティメットの存在定義

 「輪廻=円環」と言う条理の中で動く世界
 運命に翻弄され、人生の困難に苦しみながらも、
 何かを望み、希望を抱き奇跡を求める人々。
 しかし人々の儚い望みは条理の原則に打ち破られ、
 人々の希望はやがて絶望の暗闇へと帰着する。

 かつて仏陀は求めぬ事、諦念(希望を抱かない、欲さない、執着をしないこと、無心)を行う事により、
苦しみ、渇望、絶望からの回避を説いた。これを「聖」とする(輪廻の中で穢れを避けて生きる。秩序、分相応、
己のあるがままを受け入れる)。「聖」の完全なる到達点は「止滅」である。

 仏陀の概念から考えると、魔法少女というのは穢れへと向かう存在であると言えよう。なぜなら彼女たちは現世の
出来事に執着し、望み、肉体に起因する様々な欲望を抱いているからだ。それは「希望、望み」とも言い換える事がで
きる。そう、彼女たちが魔法少女になったきっかけだ。キュウベェが求めるものだ。その「希望、望み」が、やがて軋
轢を生み出し、不満を醸成し、憎しみを生み出すようになる。
 一方、アルティメットは魔法少女たちが宿した、絶望に浸る魂の器「ソウルジェム」を砕き、魂をその宿命から開放
して「概念の楽園」へと導いた。「魂の器」を砕くことにより、魂を穢れから開放したのだ。これによって魔法少女た
ちは、己の願望がもたらすはずであった絶望への宿命から開放される事になった(死を賜る。止滅。死と浄化。永遠の
呪いからの開放)。
 導きによって人々を輪廻の苦しみから救い出す存在が「如来」であるならば、アルティメットは如来的存在だと言え
よう。穢れた現世からの概念への解脱。またアルティメットは、ジャイナ教のケーヴァリン(完全者)のように生死を
超越し、現世をも来世をも超越する。そしてまるで大日如来かの如く、宇宙にあまねく広がり、三世(過去・現在・未
来、前世・現世・来世)にわたって超越存在し、すべての魔法少女の上に最後の救いとして光被する。こうして最終的
に魔法少女は輪廻からの解脱を受ける。
 このように、アルティメットは阿羅漢のように自らのみを極める存在ではなく、この世のすべての魔法少女たちを救
済する。その点で、大乗仏教的である。アルティメットの作り出す概念の世界の中には、無数の魔法少女たちの魂が乗
り込んで、「大乗」となっている。

 アルティメットがヴェーダ系統の宗教と異なる点もある。アルティメットは「悟り」によって魔法少女を救い導くの
ではなく、「愛」そのものによって魔法少女たちを救う救済者であるのだ。
 アルティメットは魔法少女たちへの愛のために、己の魂と肉体を犠牲にして生まれた。これはある種のキリスト的で
もあると言えるだろう。
 「悟り」によって解脱し、人々を救い導くのが仏教の如来であるなら、アルティメットは「魔法少女を愛によって救
う存在」と定義できる。そして魔法少女への愛のために、宇宙規模で、すべての魔法少女たちの生み出す穢れと永遠に
戦い続ける存在概念なのである。ここでも解脱を求めるヴェーダ系統の宗教とは異なり、善と悪の二元論を取る宗教に
近い存在になっている。これはアニメであるため、理論的に難解なものにしないための構成である。修行者とその解脱
に重きを置いた仏教の理論通りであると、そのまま修行者の物語になってしまう。そのため、人類の愛のために犠牲に
なったキリストのエッセンスや、ジャイナ教や、善と悪の二元論で物語に取り入れ易いゾロアスター教的なエッセンス
が組み入れられている。善と悪の二元論はアニメに取り入れ易いのだ。視聴者に分かりやすい形にするためだ。