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その後1996年までニーダーホッファーは高いパフォーマンスを続け、世界一の投資家と称えられたが、1997年のアジア通貨危機で大敗し、彼のファンドも破綻に追い込まれた。

この時の彼は、同年10月27日の株価の大暴落が大衆を巻き込んだヒステリックなもので翌日には大きく反発すると予想し、プットオプションの売りポジションを取った。
しかし取引額が大きかったので5000万ドルの追証が発生。その金額を集められなかった為に、翌10月28日火曜日午前7時半の寄り付きには多額の含み損が発生し、強制決済された。
その日の午前10時には、ニーダーホッファーの思惑通り株価は大きく反発、暴騰を始めており、約2時間半の差で破産と成功の命運が分かたれた事に成る。