また劇中で秩序と言う言葉が出ているが、秩序はある種の諦念(節度)から始まるものであり、礼もまたそれに従う
(礼儀正しいまどか。聖の片鱗)。
弓とは高貴さの象徴でもある。
様々な概念群から世界が成っている事をまどかマギカは示してもいる。
根源的概念と、それに類して生じた概念群。派生や類似によるツリー的繋がり。

アルティメットは「慈母」としての「永遠に女性的なるもの」であり
この悪魔は「愛する人」としての「永遠に女性的なるもの」である。
ベクトルは違うものの、性質は同じ。
この2つの「永遠に女性的なるもの」が二重奏曲となり、紡いで行く物語が「まどかマギカ」の根本となる。

この2つの存在の性質は同じ起源から来るもので、同一起源であるが、目的を達成しようとするやり方が異なる。
アルティメットの紋章を見ると、円と光のモチーフでデザインされている。これはアルティメットという存在が
円環の理を破戒するものではなく、その一部に組み込まれた存在である可能性を示す。
そもそも、魔女化というのはキュウベェの属する勢力が宇宙の寿命を延ばすために生み出したシステムであり、
宇宙の諸原則や円環の理の元の形ではなく、キュウベェの属する勢力がエントロピー抽出のため拡大激化させた
システムである。よってアルティメットの魔女化回避はそもそもの円環の理に叛くものではなく、キュウベェの
属する勢力のやり方を否定する行為である。
こう考えるとキュウベェの属する勢力も、ある意味で円環の理に叛いている勢力とも言える。なぜなら宇宙の諸原則
の元の形は、エントロピーの減少でいずれ終わるはずだからだ。元に従えば「宇宙は始まり、終わる」のである。
「希望に始まり、絶望に終わる」という現象は、元はこの大原則から来る基礎的物理法則である訳だ。これを否定し
延命を図るキュウベェの勢力も、また「宇宙の諸原則=円環の理」に対して反逆的である。
キュウベェの勢力は「絶望」に介入し、「宇宙の終わり」にも介入している。

一方、悪魔は自らのソウルジェムを強化することによって、自らの力を伸ばして願望を叶えようとする。
この悪魔は、円環の理など興味は無く、ただただ自分の願望を追及する。極めて人間的な側面を持つとも言えるだろう。
アルティメットとキュウベェの勢力が「宇宙の延命」という課題で対立関係にあるが、この悪魔はまったく関係が無い。
第三勢力とも言える存在である。

このようにアルティメットとこの悪魔は、元の性質は「永遠に女性的なるもの」で一致するが、目指す方向性と
力を得たやり方が全く異なる。方向性と今の存在のあり方が全く異なるものになってしまった以上、お互いに分かり
合うことができるのだろうか? 最終的な理解は、人間への復活「同一への回帰」を経て起こるのかもしれない。

もしこの度のアルティメットの人への復活が真の復活ではなく、悪魔が作り出した幻想であるなら、いつか
幻想は打ち破られる。その後に何を求めることになるのか?
神の曲は「審判の日」と「復活」で終わるが、まどマギは何を見せてくれるのだろうか?
期待している。