創始者の吉村実は、宮大工や床屋の見習いなど、様々な職を転々とした後、長距離トラックの運転手を務めていた。
ある日、吉村は「九州の豚骨と東京の醤油を混ぜたらうまいんじゃないか」と思い立ち、平和島(東京都大田区)のトラックターミナルにあった「ラーメンショップ」を半年間手伝った後、
1974年9月に横浜市磯子区・新杉田駅近くに、吉村家を開店した店は、産業道路に面しており、石川島播磨重工業(現・IHI)をはじめとする工場密集地帯という立地だったことから、工場労働者やトラック運転手などの間で評判になっていったという。
その後、吉村は本牧家を開店したが、ここで店長を務めていた神藤隆が1988年に独立して東白楽駅近くに六角家を開業し、他の弟子たちも本牧家を辞めたため、怒った吉村は本牧家を一時営業中止し、新聞沙汰にもなった。