0820幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP
2018/10/12(金) 21:31:12.86ID:WfaHy+/D0、,-ー- 、_,.,r-r,.;r';"´ ゛ヽ,
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iヽ': '´二 ´` r''/:::::::::i、 アルトゥール=ショーペンハウエル
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/::::::´:〉- 二 `/::::::::::::::/::::::::::::::ヽ、 1788ダンツィヒ〜1860フランクフルト
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バラモン教のもろもろの教義、ならびにブラームとブラーフマー、パラマートとジーヴァートマ、
ヒラニヤ・ガルバ、プラジャーパティ、プルシャ、プラクリティなどの区別は(これらについての簡潔
な叙述は、オブリのすぐれた著作『ニルヴァーナについて』インド、一八五六年に見いだされる)、つ
きつめたところ、端的に本質的に主体的存在しかもたないものを、客体的に叙述しようとする意図から
なされた神話的虚構にすぎない。だから仏陀はこうした区別を捨てて、輪廻と涅槃しか認めなかった
のだ。なぜなら教義というものは、複雑・多彩になればなるほど、神話的になるからだ。この理を最も
よく理解しているのが、ヨーガ行者あるいは遁世者(サニアッシ)だ。彼らは方法論的に自己を正して、
外にむかっている感覚のすべてを内にひきもどし、全世界を忘れ、ついには自分自身をも忘れて無念
無想となる――そのときまだ意識のなかに残っているのは、根源的本体だけというわけだ。ただしこ
れは言いやすくして行ないがたいことではある。――