>>338
ホントお前は使えないわw
調べたらあったわ

しかし、実用化には厚い壁が立ちはだかった。
研究室と以前から交流があった小野薬品工業(大阪)に開発を持ちかけたが、
がんの免疫療法は失敗続きだった時代。同社はリスクの大きさに尻込みして、協力できないと返答してきた。
国内企業はどこもやりたがらなかった。

だが本庶さんは諦めず、米国のベンチャー企業に開発を打診。
すると人の抗体の技術を持つ別のベンチャーが小野薬品に共同開発を持ちかけ
、同社が方針を転換。ようやく治験が始まり人でも効果が証明され、
26年に小野薬品から「オプジーボ」の商品名で発売された。PD−1の発見から実に20年が過ぎていた。