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 すなわち、激情は、種族にとってのみ価値のあるものを個体にとっても価値があるように瞞着してみ
せる妄想にもとづくものであるため、種族の目的が達せられれば、錯覚は消えうせざるをえない。個体
をとらえていた種族の霊は、ふたたび個体を解放するのである。種族の霊に見棄てられると、個体はふ
たたび元来の偏狭貧寒な状態にまいもどり、あのように崇高で英雄的な、無限の努力を捧げたにもかか
わらず、そのあとにおのれの楽しみとして得たものといえば、どんな性的満足によってもざらに与えら
れるものにすぎなかったことを知って驚くのである。個体は期待に反し、以前よりもかくべつ幸福でも
ないことを発見し、おのれが種族の意思に欺かれたものであることに気づく。それゆえ、しあわせを得
たあとは、テセウスはアリアドネのもとを立ち去るのがつねである。もしペトラルカの激情が満たされ
ていたら、鳥が卵を産むやいなやさえずるのをやめるように、その瞬間から彼の歌はとだえたであろう。