民族精神の売春化

 だが、これらのことをなんでも軽率に引き受けようとするくせのある人は、この疾病のまんえ
んについての基礎的統計を一度でも研究し、この百年間に見られた増加を比較し、その後にこの
先の病気の進展を立ち入って考えてみるがよかろう。−そして、もし不愉快な寒気が背筋を走る
のを覚えないようであったら、その人はまったくロバくらいの単純な頭の持ち主にちがいない!
 旧ドイツ国においてすでに、そのように恐るべき現象に対してとられた態度は弱々しく、また
中途半端であったことは、民族の堕落を明白に表す徴候と評価されてよいだろう。もし、自己
の健康のために闘争する力がもはや存在していないとするならば、この闘争の世界において生き
る権利は消滅する。この世界は力に満ちた「完全な人」のものであり、弱々しい「中途半端な
人」のものではない。
 旧帝国のもっとも明白な没落現象の一つは、一般の文化程度が次第に低下したことであった。
ここで、わたしは文化と言う言葉でもって、現在、文明と呼ばれているものを考えているのでは
ない。文明というものはむしろ反対にほんとうの精神水準、および生活水準の敵であるように思
われる。
 今世紀になる以前にすでに、その当時までは完全に異常なもの、未知数的なものとみなされえて
いた要素が、われわれの芸術の中に割り込んでき始めた。たしかに、より以前の時代にもしばし
ば趣味の脱線がみられたが、しかしそのような場合でも、なお後世の人々が少なくともある種の
歴史的価値を承認できるような、そういった芸術家的脱線であって、およそ、もはや芸術家的な
どというものではなく、むしろ愚鈍さにまでおちこんだ、精神的頽廃の生み出す産物などではな
かった。後になればもちろんより明白になってくるところの政治的崩壊が、これらの脱線の中で
すでに文化的に予想され始めたのである。

アドルフ=ヒトラー著「わが闘争」