◆◆◆7月の市況 その11◆◆◆
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>>681
浜名湖産のは稚魚(シラスウナギ)
からの養殖が多い >>678
まあどうせおまえは稼ぎ1円もなしで親の金丸々あてにして生きてる
情けないヤツだから、金額の多寡は関係なくなくね? >>468
・・・中国でのチャイナ人の家電バカ買いを目の当たりにして、
日本を視察すると、ひたすらひたすら、半額弁当売り。
ダメリカ人マネージャーがバカバカしくなったんだなw
アホに高値で売れるウチに撤退。。。
ビズネスはスピードが勝負だわな。 >>665
加計学園に渡す補助金を復興に使いたいから当然だろう 正確には魚卵からでなく稚魚から育てても
蓄養になるのか >>688
全部はなあ
知人の養鰻業者から送って貰うが 大阪市内の淀川でも最近天然鰻が捕れるそうだが
あんま、食べる気しないなぁ (´・ω・`) 【悲報】オウム7人死刑執行した上川陽子さん、前日の赤坂自民亭で「バンザイ」と音頭を取っていたと判明 [875949894]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1531261637/l50
こういうのでいいんだよ。水害が発生してなければw サラブレッドにはきついけど、ばんえい競馬の馬なら楽勝だな。 >>691
そっかー
>>692
大阪湾に沈められた人食って丸々と太ってそうや しかし西友の引受先どこになるか知らんが、これ買ったところで
収益性低くて規模の拡大以外利点はなさげだけど、
人が減ってく日本で今更スケールメリット追求はあり得んよな 4tトラックの臨時バイトない? 賃銀次第で考えてもいいわ。 >>696
ばんえい競馬の馬は競馬場の坂でウンコ撒き散らすからな >>692
正直、誰も言わないけれど、セシウム濃縮強化食品を食うに等しいかと。
>底魚・貝
自分は魚無しの生活の方が拷問だから、諦めてるがw 引き籠りが運送の仕事なんて
できるわけねーべ。
世の中なめんなよ。 >>699
チミは免許ないんだからトラック助手のバイトしか出来ないだろうに >>704
4tて普通免許で乗れるトラックだろ?
そんなのフルに働いても月20万ぐらいだろな >>705
幸ちゃんは8t限定と大型二輪免許持ってる。 昭和59年ダイヤ改正までは普通に貨物列車走っていたでしょ? 幸ちゃんは
まずチャックが閉まっているか
確認するところから始めよう >>714
お金が貯まったら600tくらいのに乗ろうと思って取ったんだよ。 幸ちゃんは
ママからもらう1日300円の
お小遣い貯めてるの? >>718
レバノンやエジプトの路線バスは扉開けたまま走行していたぞ。 >>708
どう考えても中沢くんみたいな異常に注意力散漫なヤツが免許取得以前に
教習所コースから路上に出られるとかないだろ 普通免許はもってないけど
トラックの免許持ってる幸ちゃん
凄いわ >>727
幸ちゃんは普通二種免許を運転免許試験場で4回で合格♪ 教習所には行ってない。 日本で運転免許取れないから
外国で紙を買ってきたんだべさ。 >>729
明仁が持ってる免許は大型二種と大型二輪。昔は普通免許のオマケで大型バスも大型バイクも乗れた。 >>735
何を? 幸ちゃんの親父もオマケで大型二輪乗れたらしいぞ。大型免許は今でも持ってるが。 >>730
たから一種免許持ってないのにどうやって二種取得できるよ、このバカチンが >>737
1種免許を教習所で取って3年後くらいに二種も試験場で取った。当時は路上試験はなかった。 >>736
うちの親父も昔のだから大型二輪ついてる
ラビットに乗って盛大に事故起こしてからやめたそうだ パスポートはうp出来て、
免許証はうp出来ないの? >>738
幸ちゃんは半年の有効期間の間に免許取得出来ず教習所退学というまれな経歴の持ち主とみた >>740
おまいらが偽造するからうpしません
>>742
横判押されたのは普通免許で2度、大型二輪で2度だけ。 ゴミ箱で水を運んでるw 動物の腸でいいと言ってるのに。 >>737
嘘とごまかし、虚栄で、自尊心を満足させてるんだからもうかまうなよ
そもそもチャリンコ乗って今までの発言の矛盾ばかりなのに意味ないだろ
暇つぶしにもならん 水道が出ないと水洗便所はきついな。ボットン便所なら安泰w >>745
ありゃ案外いるもんなのかw
なんにしてもさっぱり自慢にもならないけど >>749
ぁぉぃちゃんは、ブレーキ自分で踏まないから
横の教官がいつも踏む (´・ω・`) >>749
真に受けるなよ。幸ちゃんは98年に溝の口の教習所で普通免許取得しました。 >>751
まじか(´・ω・`)
ぁぉぃが運転免許取れなかったとはのう(´ε`;)ウーン… 相手を嘘と誤魔化しで陥れさせて己の自尊心を満足させてる輩もいそうだよな。
ずっとPCの前でそれやってるよりたまに行動してる幸ちゃんのほうがまだいいのでは。 >>755
たまにどころか、幸ちゃんは毎日行動してるよ。 >>754
残業しないとは・・・
じつにけしからん! 教習所は補習が1回で済んだぬ。授業料は前半は自腹で後半は親に出して貰ったかな。
教習所繋がりで株を持ってた頃もあったな。 >>753
ぁぉぃも中沢くんも教官を意味なく変に見下してるから、運転ミスって怒鳴られると
二度と教習所イカネてなる感じは確かにあるかもな ほら出た、無意味に本名で書いて拡散を狙ってる名無し 幸ちゃん
免許持ってないのに平気で嘘つくようになったのか >>759
教官見下すとか、ぁぉぃは、そんなことないと思うけどなあ(´・ω・`)
金太郎は十分にありうるが 人間から人間にうつるから「伝染病」なんでしょ?
昔はペストやコレラに苦しめられたものだ。 リア充寄りとかヤンキー寄りの方が教官を見下してそうだけどぬ >>764
見下す必要あるの? 相手の気分を害したら横判押されるだけなのに。 先生をセンコーとか言ってるのと一緒よ。
んでそれはここでの俺らに対しての態度にも共通してるよな。 >>759
教えて貰っているのにイカンなー
教官や指導員はちゃんと見ているぬ 見下すとかいう発想はチョンだな。日本人にはない。
男性と男性の間には、おのずから、単に無関心があるに過ぎないけれども、女性と女性との間には、
早くも生まれながらにして、敵意が存在する。だから、いわする商売敵の憎しみは、男たちでは、それぞれ
彼らが属する同業組合にもとづくものに限られているが、女たちにあっては、その憎しみが全女性を包括している。
これは、女性全体が、ただ一つの職業しか有っていないのによるのだ。女たちは、路で行きあった場合ですら、
互いを分け隔てすることを、あたかも、グェルフ党とギベリン党との間柄にもひとしい。
なお、初対面の際、二人の女性は互いに、同じ場合に二人の男性が示すよりも、明らかに、より多くのわざとらしさや、
いつわりの飾嬌を表す。だから、二人の女性の間にかわされるお世辞は、男性の間のそれよりも、はるかに滑稽なものとなる。
また、男性は、自分よりずっと目下の者に対してすら、常に、やはりある程度の遠慮と人情味とをもって話するけれども、
高貴の婦人が、身分の低い(しかし、自分の召使ではない)女と話をするとき、一般に、いかにもいばった、そして、
さげすむような態度をとるのは、はたで見ていても我慢がならないくらいである。これは、けだし、女性においては、
階級の相違が、総じて、男性におけるよりも著しく不安定であり、はるかにすみやかに変化したり消失したりすることさえ
あり得るのによるらしい。というのは、男たちの運命には幾百もの事項が関係を有つのに反して、女性にあっては、
ただ一つのこと ーすなわちいかなる男に気に入られたかということー のみで、その運命が決まるからである。
更に女性の仕事が一方的であるために、女性同士は、男たちの間柄よりも、はるかに接近しているから、せめて、
地位による差別だけでも、はっきりさせようと試みることが、またその理由となるのであろう。 幸ちゃんはいつも見下されてる方だから
他人を見下すなんてことはしないよね >>757 黙々と 黙って (-_-) 帰ろう木曜日 ユダヤ民族は今日まで他の民族とその土地に寄生しているが、それにもかかわらず自国民に対する旺
盛な愛国心をもってこり、一人のユダヤ人はすべてのユダヤ人に代わり、すべての者がまた一人に相当
するといったきわめて頑固な団結で、天下にそれを示している。したがってこの祖国なき愛国心は、他
のどういう愛国心よりも熱狂的な働きをするのだ。ユダヤ人の祖国は他のユダヤ人すべてであり、それ
ゆえ彼はユダヤ人全体のために、「祭壇と炉辺とのために」、つまり彼らの宗教と祖国のために戦うの
であり、地上のどのような共同体もその団結において彼らにまさるものはない。このことから判明する
ことは、ある国家の政府あるいは行政にユダヤ人があずかることを容認しようなどということが、いか
に不条理かということだ。この場合、もともと彼らの国家と融合一致しているその宗教が主要な問題点
となるのではなくて、むしろ彼らを結びつけている靭帯、彼らがおたがいにそれによって仲間を見わけ
る集合地点と軍旗が問題なのだ。宗教が問題点でないことは、普通の背教者ならばほかの人たちの憎悪
と嫌悪を自分一身にかぶるのに、キリスト教に改宗して洗礼を受けたユダヤ人ではそういうことは絶対
になく、むしろ普通は、こちこちの正統派を除いて、改宗者も依然として昔どおりの友であり仲間であ
ることに変わりはなく、改宗者もほかの人たちを真の同国人として見ることをやめないということでも
わかるのである。それどころか、ユダヤ人が定時に祈祷をささげるには十人集まる必要があるのだが、
そういう祈りに一人欠けた場合でも、改宗したユダヤ人ならばその代理をつとめることがゆるされる
が、ほかのキリスト教徒は絶対に代行できないのだ。こうしたことは、ほかのすべての宗教的行事につ
いてもあてはまるのである。かりにキリスト教が凋落してなくなったと仮定すると、この事態はいっそ
うはっきりしてくるだろう。つまりそうなってもユダヤ人たちはユダヤ人どうしで集まり一致団結する
ことをやめないだろうからである。したがってユダヤ人をたんに宗教的なセクトと見ることは、きわめ
て皮相な誤った見方だ。 いわんやこの誤りを押しとおすために、ユダヤ教を、キリスト教会から借りて
きた言葉で「ユダヤ的宗門」などというのは、故意にひとを誤らせることをねらった根本的にまちがっ
た表現で、断じてゆるすべきではない。むしろ「ユダヤ国民」というのが当たっているのだ。ユダヤ人
には宗門などというものはない。一神論は彼らの国民性と国憲の一部なのであって、ユダヤ人には自明
のことなのだ。まちがいなくわかってもらいたいが、一神論とユダヤ国民とは、そのまま取りかえるこ
とのできる相関概念なのだ。――ユダヤ人の国民性につきものの周知の欠点はかずかずあるが、なかで
もいちばん顕著な欠点は「内気」という言葉で表現されるいっさいのものを奇妙に欠いているという
ことだ。もちろんこれは一種の欠如であるが、それでもおそらくなんらかの積極的特性よりも、世間
を渡ってゆくには助けになる欠如である。わたしが言いたいことは、こうしたかずかずの欠点は主とし
て彼らが受けた長期にわたる不当な弾圧のせいであり、恕すべき点はあるにしても、欠点でなくなるわ
けではないということだ。古くさい寓話・ごまかし・偏見を捨てて、洗礼を受けることによって、名誉
も利益ももたらさぬ(例外的には利益がある場合もあるが)彼らの仲間社会から脱出する理性あるユダ
ヤ人を、わたしはだんぜん賞讃せざるをえない。その場合、キリスト教的信仰に対して非常にまじめで
なくてもかまわぬのだ。だって、若いキリスト教徒が堅信礼のさいに「わたしは信じます」で始まる信
仰箇条をのべるとき、だれも彼もが大まじめとはかぎらないではないか。しかしユダヤ人にこういう改
宗手続きをとらせることなく、この悲喜劇的な奇態な制度全体に世にもなごやかな行き方で引導をわた
す最良の方法は、ユダヤ教徒とキリスト教徒間の結婚をゆるすこと、それ以上に奨励することだ。この
ことに対しては、キリスト教会としては、使徒自身の権威の裏づけ(「コリント人への第一の手紙」第
七章一二〜一六)もあるから、なんら異議を唱えることはできないのである。こうして百年以上もたて
ば、ユダヤ人など影もうすくなって、やがては亡霊も完全に祓われ、アハスフェルスも埋葬されること
になって、選ばれた民自身が、どこにそういうものがいたか、わからなくなるだろう。 ユダヤ的エゴイズムの結果
ユダヤ人の場合も似た事情にある。かれらの犠牲心は外見上だけの
ものである。それは、各個人の生存にとって無条件に必要である期間だけ続くに過ぎない。だが、共
通の敵が克服され、みなを脅かしていた危険が取り除かれ、獲物が隠されてしまうと同時に、ユダヤ人
相互間の見せかけの調和は中断してしまい、もとから存在していた素質が再びとってかわるのである。
ユダヤ人は共通の危険がそのように強制するか、共通の餌食がそそのかす場合にだけ一致するのであ
って、この二つの理由が消えてしまえば、きわめてはなはだしいエゴイズムの本性が当然のこととな
り、一致した民族からてのひらを裏返すように、相互に血みどろの闘争をするねずみの群が現れてくる。
この世界にユダヤ人だけがいるのなら、かれらは泥や汚物に息がつまりながらも、憎しみに満ち満
ちた闘争の中で相互にペテンにかけよう、根こそぎにしようと努めるに違いない。ただしかし、それ
はかれらの臆病に示されている犠牲心の完全な欠如が、この場合にも、この闘争を猿芝居にしてしま
わなければの話である。
したがって、ユダヤ人が闘争において、あるいはもっと適切にいうならば、かれらの隣人から強奪
する場合において、団結しているという事実から、かれらにある種の典型的な犠牲心が存在するのだ
と推論しようとするのは、根本的な誤りである。
この場合でもユダヤ人を導くものは、個人のあからさまなエゴイズム以外のなにものでもないのだ。
アドルフ=ヒトラー著 「わが闘争」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています