米山隆一 (政治家)
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新潟県北魚沼郡湯之谷村(現:魚沼市)生まれ。幼少時の名前は愛甲隆一。灘高等学校、東京大学医学部
医学科卒業。1992年5月、医師免許を取得した。1997年10月、司法試験に合格した。1998年に東京大学大学
院経済学研究科を、2000年に東京大学大学院医学系研究科をそれぞれ単位取得退学。放射線医学総合研究所、
ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院を経て、2003年に東京大学より博士号(医学)を取得[3]。2005年よ
り東京大学先端科学技術研究センター医療政策人材養成講座特任講師。

2005年、第44回衆議院議員総選挙に自由民主党(以下、自民党)公認で新潟5区から立候補した。全国的に
は与党に強い追い風が吹いたものの、無所属の田中眞紀子に敗れ、比例復活も果たせなかった。2009年の第45回
衆議院議員総選挙に再び自民党公認で新潟5区から立候補。前回に比べて得票数を伸ばしたものの、総選挙の
直前に民主党に入党した田中に大敗を喫した。ただし、尊敬する政治家は田中の父親である田中角栄だと公表し
ている[4]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、自民党から日本維新の会に移って新潟5区から立候補したが、比例
北陸信越ブロックから国替えした自民党前職で元山古志村長の長島忠美、民主党前職で当時の文部科学大臣
だった田中眞紀子の後塵を拝し、落選。2013年の第23回参議院議員通常選挙にも日本維新の会公認で新潟
県選挙区(定数2)から立候補したが、得票数4位で落選した。2016年に維新の党が民主党と合流したことで民進
党籍になった。その後、新潟県知事選挙への立候補に伴い、離党。

2016年新潟県知事選挙