>>532
亡命生活
しかし、戦前から交流のあったイギリス首相のウィンストン・チャーチルの計らいにより釈放され、その後新たな愛人
となったシェレンベルクとともに戦後の数年間を、第二次世界大戦において中立国であったスイスのローザンヌへ
脱出し亡命生活を送った[9]。

この血に塗られた亡命生活を支えたのが、シェレンベルクの協力のもとにヴェルテメール兄弟から略奪しようとした
「パルファム・シャネル」から入る収入であった。ヴェルテメール兄弟との訴訟を含む激しいやり取りを行った結果、
1947年5月に、シャネルは戦時中に受け取ることができなかった「N°5」の利益配分をヴェルテメール兄弟から
受け取った上に、将来における「N°5」の売り上げの2パーセントを受け取ることになった。