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ドイツ軍は占領下においたフランスにおけるユダヤ人所有の資産や企業を押収したが(アーリア化)、シャネルにと
ってはユダヤ人であるヴェルテメール兄弟に売り渡した「パルファム・シャネル」と、その主力商品である「N°5」が生
み出す全ての金融資産をタダで取り戻す機会と考えた。

1941年5月5日に、シャネルは「ユダヤ人の金融資産に対する処置」、つまりヴェルテメール兄弟が持つ「パルファム・
シャネル」の資産の没収と、自分への移転を願う手紙をドイツ軍の行政官に向けて書いた。この「アーリア人」から
の依頼を受けてヴェルテメールの「パルファム・シャネル」に対する所有権は法的に「棄却」され[7]、シャネルに所有
権が「合法的に」移ることを画策した。シャネルは、行政官の決定にシェレンベルクとフォン・ディンクラージとの「関係」
が後押しするものと期待したが、ドイツ軍による資産押収を予想していたヴェルテメール兄弟は、直前に資産を非
ユダヤ人のフェリックス・アミオに移譲していたため、このようなシャネルの謀略は不成功に終わった。