西部邁はジジェクが言うところの「消え去る媒介」だったんだよな

いわゆる知識人と呼べるような人間(安保以降の世代)のなかで、最初に保守・右翼を名乗ったのが西部
そのときはみんな、マジでなにかの冗談だと思っていた
一種の皮肉であり、本当は左翼のままなのだろうと

しかしその後、福田和也とか小林よしのりとか、自他ともに認めるような保守が出てきて
さらにネトウヨと呼ばれるようなライトな右翼が生まれた

そのときには西部邁はもう全く読まれなくなっていた
西部邁を読んでいるネトウヨなんて一人もいないだろう
まあそれが悪いということではないが、歴史というのはおうおうにしてそんな経緯を辿る