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世界最初の先物取引市場
右の絵は堂島米市場だが、どこにも米が描かれていない。米市場では大名の蔵屋敷の米を入札
して、落札した商人に米切手を渡す。米切手を蔵屋敷に持って行くと米に交換できる。堂島は遊女
町だったが、江戸時代初期に淀屋橋南詰にあった米市場が元禄10年(1697)に堂島に移転。幕府が
米切手を認めたのは享保年代(1716?)で、シカゴで先物取引市場が現れる百年も前のことだ。
絵の中には「人気天を知って指頭を回らす/市の声は谷に響く乾坤州/草鞋腰に付け千万を賈(あ
きな)ふ/水を散らせば雲と作る謳曳(おうひき)の眸(まなじり)」と書かれいる。ハンドサインで米切手の
売買をしている様子が描かれている。米切手は堂島米市場だけで扱われた。堂島でついた米の値
段が全国の米相場の基準になった。
左下の写真は浜の字を図案化したもので、堂島の連中が「濱」の字の入った羽織を作り、それを
着ていくと茶屋や料亭の扱いが違ったというほど堂島では権威があった。大坂では川岸を浜とよんだ。
下の絵には「当浜の左右ともに潔き家宅(いへいへ)軒をならべ売買の客を請待す」と書かれ、商人
の町として発展した堂島の繁盛ぶりがうかがえる。