0001フォーエバー ★2024/03/04(月) 17:48:51.94ID:7spBSxl49
3/4(月) 17:06配信
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20240304-00294257-tospoweb-000-1-view.jpg?pri=l
東スポWEB
AEWのPPVイベント「レボリューション」(3日=日本時間4日、ノースカロライナ州グリーンズボロ)で、米レジェンドレスラーのスティング(64)が引退試合を行った。
ダービー・アリンとのAEW世界タッグ王者コンビで、「ヤングバックス」(マシュー&ニコラス・ジャクソン)の挑戦を受けた。リック・フレアーとリッキー・スティムボードのレジェンド2人がリングサイドで見守る中、WCW初期とウルフパック時代のスティングに扮した息子2人を引き連れて入場。引退試合は反則OKのルールでイス、テーブル、ラダーはもちろんガラスボードまで投入される壮絶な死闘となった。
スティングは場外でマシューからブレーンバスターをくらってテーブル葬、アリンもガラスボードに叩きつけられ、大ピンチに。フレアーとスティムボードが助太刀に入るが、ヤングバックスのダブルスーパーキックを被弾してしまう。スティングは2度目のテーブル葬、ガラスボード葬をくらっても、64歳とは思えない驚異的な粘りで復活だ。必殺のスコーピオンデスドロップ(逆DDT)を連発すると、背中から流血したままアリンが鮮やかなコフィンドロップ。最後はスティングがこん身のスコーピオンデスロック(サソリ固め)でマシューをタップさせた。
不屈の64歳は大激闘を制し、ベルトを守ったままでリングを去る。「サンキュー、スティング!」の大チャントの中でマイクを握り「ありがとう、グリーンズボロ。正直に言うと、1988年3月からずっと感謝している。ネイチャーボーイ(フレアー)とスティングの(NWA)世界王座戦で45分時間切れ引き分け、ありがとう、リック。プロレスファンにも忘れられない夜にしたい。この先、何年も心に刻まれるプロレスの夜。私自身にとっても忘れられない夜になった!」とスピーチした。
85年にデビューし、86年には「スティング」となり、WCWで顔にペイントを施して88年3月のフレアーとの王座戦でブレークを果たした。グレート・ムタとの抗争でも名をはせ、日本でも活躍、95年1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会では、引退試合ファイナルカウントダウンでアントニオ猪木と一騎打ちした。96年には当時猛威を振るった「nWо」に対抗するため、白と黒のフェースペイントと黒装束のスタイルに変身し、黒バットを手に人気を博した。
WCWがWWEに吸収合併されると、インディ団体やTNAを主戦場として「WWEに上がらない最後の大物」とされたが、14年11月のWWE「サバイバー・シリーズ」に初登場。15年3月の祭典「レッスルマニア31」では、トリプルHと遺恨決着戦。ハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュ、スコット・ホールの「nWо」にショーン・マイケルズらDXのメンバーが次々に介入する夢の大乱戦≠ニなった。試合は敗れたが、16年4月にWWE殿堂入りを果たし、引退を発表した。
20年からAEWで復帰。昨年1月のノア横浜大会で行われたムタのラストマッチでは、アリンとともにムタのタッグパートナーを務めた。プロレス界の伝説は黒バットとともに、再びリングを去った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9cf64086c85738aa5fca7ac7daa9294fb0c60f44
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AEWのPPVイベント「レボリューション」(3日=日本時間4日、ノースカロライナ州グリーンズボロ)で、米レジェンドレスラーのスティング(64)が引退試合を行った。
ダービー・アリンとのAEW世界タッグ王者コンビで、「ヤングバックス」(マシュー&ニコラス・ジャクソン)の挑戦を受けた。リック・フレアーとリッキー・スティムボードのレジェンド2人がリングサイドで見守る中、WCW初期とウルフパック時代のスティングに扮した息子2人を引き連れて入場。引退試合は反則OKのルールでイス、テーブル、ラダーはもちろんガラスボードまで投入される壮絶な死闘となった。
スティングは場外でマシューからブレーンバスターをくらってテーブル葬、アリンもガラスボードに叩きつけられ、大ピンチに。フレアーとスティムボードが助太刀に入るが、ヤングバックスのダブルスーパーキックを被弾してしまう。スティングは2度目のテーブル葬、ガラスボード葬をくらっても、64歳とは思えない驚異的な粘りで復活だ。必殺のスコーピオンデスドロップ(逆DDT)を連発すると、背中から流血したままアリンが鮮やかなコフィンドロップ。最後はスティングがこん身のスコーピオンデスロック(サソリ固め)でマシューをタップさせた。
不屈の64歳は大激闘を制し、ベルトを守ったままでリングを去る。「サンキュー、スティング!」の大チャントの中でマイクを握り「ありがとう、グリーンズボロ。正直に言うと、1988年3月からずっと感謝している。ネイチャーボーイ(フレアー)とスティングの(NWA)世界王座戦で45分時間切れ引き分け、ありがとう、リック。プロレスファンにも忘れられない夜にしたい。この先、何年も心に刻まれるプロレスの夜。私自身にとっても忘れられない夜になった!」とスピーチした。
85年にデビューし、86年には「スティング」となり、WCWで顔にペイントを施して88年3月のフレアーとの王座戦でブレークを果たした。グレート・ムタとの抗争でも名をはせ、日本でも活躍、95年1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会では、引退試合ファイナルカウントダウンでアントニオ猪木と一騎打ちした。96年には当時猛威を振るった「nWо」に対抗するため、白と黒のフェースペイントと黒装束のスタイルに変身し、黒バットを手に人気を博した。
WCWがWWEに吸収合併されると、インディ団体やTNAを主戦場として「WWEに上がらない最後の大物」とされたが、14年11月のWWE「サバイバー・シリーズ」に初登場。15年3月の祭典「レッスルマニア31」では、トリプルHと遺恨決着戦。ハルク・ホーガン、ケビン・ナッシュ、スコット・ホールの「nWо」にショーン・マイケルズらDXのメンバーが次々に介入する夢の大乱戦≠ニなった。試合は敗れたが、16年4月にWWE殿堂入りを果たし、引退を発表した。
20年からAEWで復帰。昨年1月のノア横浜大会で行われたムタのラストマッチでは、アリンとともにムタのタッグパートナーを務めた。プロレス界の伝説は黒バットとともに、再びリングを去った。
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