0001朝一から閉店までφ ★2022/07/01(金) 06:06:36.27ID:CAP_USER9
芸能Posted on 2022年7月1日 05:58
私がたこ八郎と初めて会ったのは、1983年の冬。場所は新宿のゴールデン街にある「クラクラ」という店だった。ここは「はみだし劇場」を主宰する役者の外波山文明が営む店で、たこはこの店の常連。というより、ほぼ毎日この店のカウンターで酒を飲み、酔いつぶれて長椅子で寝てしまう、というのが日課になっていた。
当時、たこはフジテレビの「笑っていいとも!」にレギュラー出演し、単行本「たこでーす。」を刊行。そんな彼の素顔に迫る、というのがインタビューのテーマだった。
しかし、所属事務所に連絡するも「いや~、本人がつかまるかどうか…。夜、この店を訪ねるのがいちばん確実」というわけで、この日の訪問となったわけである。
夜9時過ぎ、「クラクラ」のドアを開けると、たこはすでに酩酊状態。というより、四六時中飲み続けているため、常に酔っている状態が続いている、といった方が正しいのか。
たこ八郎こと斉藤清作は、日本フライ級王者としてタイトルを2度防衛した元プロボクサー。3度目の防衛戦に敗れた23歳の時に、喜劇界の大御所で同郷の、由利徹のもとに弟子入り。ボクサー時代の後遺症を思わせる呂律の回らない話し方と、演技とも地ともつかない「ボケっぷり」で一躍、人気者になった。
カウンターで一緒にグラスを傾けること数時間。なんとかインタビューは終了した。私も彼の純朴すぎる人柄に魅了され、その後もたびたび「クラクラ」に通ったものだ。
ところが、そんなたこが、海水浴に来ていた神奈川県真鶴で溺死したことを知ったのは、85年7月24日のことだった。外波山いわく、
「気付くと、砂浜から20メートルくらいのところに、たこちゃんがうつ伏せで浮いていて。すぐに引き上げて人工呼吸したが、意識が戻ることはなかった」
死亡が確認されたのは、午前10時49分。この日も朝から焼酎を飲んでいたという。
https://www.asagei.com/excerpt/218443
私がたこ八郎と初めて会ったのは、1983年の冬。場所は新宿のゴールデン街にある「クラクラ」という店だった。ここは「はみだし劇場」を主宰する役者の外波山文明が営む店で、たこはこの店の常連。というより、ほぼ毎日この店のカウンターで酒を飲み、酔いつぶれて長椅子で寝てしまう、というのが日課になっていた。
当時、たこはフジテレビの「笑っていいとも!」にレギュラー出演し、単行本「たこでーす。」を刊行。そんな彼の素顔に迫る、というのがインタビューのテーマだった。
しかし、所属事務所に連絡するも「いや~、本人がつかまるかどうか…。夜、この店を訪ねるのがいちばん確実」というわけで、この日の訪問となったわけである。
夜9時過ぎ、「クラクラ」のドアを開けると、たこはすでに酩酊状態。というより、四六時中飲み続けているため、常に酔っている状態が続いている、といった方が正しいのか。
たこ八郎こと斉藤清作は、日本フライ級王者としてタイトルを2度防衛した元プロボクサー。3度目の防衛戦に敗れた23歳の時に、喜劇界の大御所で同郷の、由利徹のもとに弟子入り。ボクサー時代の後遺症を思わせる呂律の回らない話し方と、演技とも地ともつかない「ボケっぷり」で一躍、人気者になった。
カウンターで一緒にグラスを傾けること数時間。なんとかインタビューは終了した。私も彼の純朴すぎる人柄に魅了され、その後もたびたび「クラクラ」に通ったものだ。
ところが、そんなたこが、海水浴に来ていた神奈川県真鶴で溺死したことを知ったのは、85年7月24日のことだった。外波山いわく、
「気付くと、砂浜から20メートルくらいのところに、たこちゃんがうつ伏せで浮いていて。すぐに引き上げて人工呼吸したが、意識が戻ることはなかった」
死亡が確認されたのは、午前10時49分。この日も朝から焼酎を飲んでいたという。
https://www.asagei.com/excerpt/218443