[2021年11月9日17時2分]
「タネも仕掛けもちょとアルヨ」の名調子で知られ、上方演芸の殿堂入りが決まったマジシャン・ゼンジー北京(81)が9日、大阪市内の大阪府公館で表彰式に出席。晴れの舞台で「今後もう手品はやりません!」と宣言した。
額面通りなら立派な「引退表明」だが、どうやらそうとも言い切れない。昨年来のコロナ禍で舞台、寄席の仕事がほぼなくなった。舞台も2年以上遠ざかっている。「もう40年から(芸を)やってきた。80歳にもなったし。こら、ええ機会や、引退したろ」と決めたそうで、手品の道具も「大きなものは捨てた」と明かした。
しかし、とても「引退」する風情ではない。やや耳は遠くなったが、声に張りはあるし、血色もいい。67歳だった07年に心筋梗塞で倒れて生死の境をさまよったが、以降は酒、たばこを控えて健康を気づかい、現在は毎朝4時起き、5時から朝食、雨の日以外は連日6時から8〜10キロのウオーキングが日課だ。
今後「ボランティアや慰問をしたい」と言い、働くことには積極的。また「年に1度とか、舞台の依頼があれば?」と問われると「う〜ん…そらあるかもしれませんな。しかし、プロやから失敗せんように家で練習せんと…」。つまり“復帰”も十分ありそうだ。
この日の表彰式では「奇術+話芸」の芸風がどうやって誕生したかを、軽妙な口調で振り返った。師匠のゼンジー中村さんに弟子入りしたのは、20歳前。当時、マジックはしゃべらんとBGMを流し、黙々とやるのが主流だった。
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202111090000512.html
「タネも仕掛けもちょとアルヨ」の名調子で知られ、上方演芸の殿堂入りが決まったマジシャン・ゼンジー北京(81)が9日、大阪市内の大阪府公館で表彰式に出席。晴れの舞台で「今後もう手品はやりません!」と宣言した。
額面通りなら立派な「引退表明」だが、どうやらそうとも言い切れない。昨年来のコロナ禍で舞台、寄席の仕事がほぼなくなった。舞台も2年以上遠ざかっている。「もう40年から(芸を)やってきた。80歳にもなったし。こら、ええ機会や、引退したろ」と決めたそうで、手品の道具も「大きなものは捨てた」と明かした。
しかし、とても「引退」する風情ではない。やや耳は遠くなったが、声に張りはあるし、血色もいい。67歳だった07年に心筋梗塞で倒れて生死の境をさまよったが、以降は酒、たばこを控えて健康を気づかい、現在は毎朝4時起き、5時から朝食、雨の日以外は連日6時から8〜10キロのウオーキングが日課だ。
今後「ボランティアや慰問をしたい」と言い、働くことには積極的。また「年に1度とか、舞台の依頼があれば?」と問われると「う〜ん…そらあるかもしれませんな。しかし、プロやから失敗せんように家で練習せんと…」。つまり“復帰”も十分ありそうだ。
この日の表彰式では「奇術+話芸」の芸風がどうやって誕生したかを、軽妙な口調で振り返った。師匠のゼンジー中村さんに弟子入りしたのは、20歳前。当時、マジックはしゃべらんとBGMを流し、黙々とやるのが主流だった。
===== 後略 =====
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