0001ニライカナイφ ★2021/06/07(月) 19:05:28.14ID:CAP_USER9
2010年代を代表する超大作『進撃の巨人』(諫山創/講談社)が堂々完結! 6月5日発売の雑誌『ダ・ヴィンチ』7月号では、「『進撃の巨人』を、読む」特集を実施している。ストーリー&キャラクターガイドや声優・梶裕貴をはじめとする関係者インタビューなど、ぜひチェックを! ここで、過去にも『進撃の巨人』特集を実施してきた本誌の2014年10月号から諫山創氏インタビューを特別公開しよう!
『進撃の巨人』が堂々完結!『ダ・ヴィンチ』2011年6月号の諫山創氏インタビューを特別公開!
(本記事は『ダ・ヴィンチ』2014年10月号からの転載になります)
初の連載作品で累計4000万部突破の快挙をなしとげた諫山創。とどまることを知らない『進撃の巨人』現象の起源だ。異例づくしの快進撃を続ける人気作家ながら、その素顔は飾り気のない等身大の若者といった印象。それでいて、言葉のはしばしに内面的な奥深さを覗かせる。彼のパーソナリティはどのように作られていったのか?
諫山創という作家は本当に興味深い人だ。累計4000万部を突破し、来年夏の実写映画化が決定。もはや社会現象と化した『進撃の巨人』の快進撃とは裏腹に、本人は静かなテンションだ。さまざまなインタビューにおいても中2病であることや、ひきこもりがちな性質であることを隠そうともしない。ありのままの自分を語ろうと言葉を選ぶ姿は、誠実にも見えるし、シャイにも見える。一方で、世の中に対する自分なりの視点を持ち、冷静に自己分析する。過激さや毒を心の内に秘めている印象だ。
大胆な設定と意表をつく展開が作者の内面はもっと面白い。この独特のパーソナリティはどのように作られたのだろう? 作者の“過去”と“今”に迫るべく二度にわたるインタビューを試みた。
■ 緑の壁に囲まれて見えた幼少期の一番古い記憶
1986年夏、諫山創は大分県日田市に生まれた。福岡と熊本に隣接した人口7万人ほどの町で、年間猛暑日数が日本一を記録するなど、夏は暑く冬は心底寒いという典型的な盆地の気候だ。この地で諫山の実家は代々続く梅農家を営んでいる。諫山の原点を探るべく幼少期の記憶を聞いた。
「一番古い幼少期の記憶は、家の窓から見える景色が緑の壁みたいだったことです。まだ幼かったので、九州のどの辺なのか地図的な位置を把握できなくて、漠然と緑の壁に囲まれたところに自分はいるんだな、と感じてました。でも、ほかの世界を知らないので、それが普通のことだと思ってましたね」
――実家が梅農家ですが、どんな幼少期を過ごされましたか?
「両親が共働きだったので、おばあちゃんに面倒を見てもらってたんです。おばあちゃんが畑仕事をしている間は、その横にゴザを敷いて、そこにいろ、という感じでしたね。動いちゃいけないので、苔をずっと見ていた記憶があります。苔にちっちゃいムカデがうじゃうじゃいるのをけっこう面白がって眺めてましたね」
――小さい頃は恐竜を描くのが好きだったそうですね。
「初めて絵と呼べるものを描いたのがティラノサウルスでして、ゴジラみたいなトサカを描いて、恐竜なのか怪獣なのか、みたいな感じでした。なぜか首のシワに異様にこだわってたんです。幼稚園の先生に、シワがいいね、と褒められたりして、そのときの絵が今も両親の寝室に飾ってあるんです。巨大ロボットと怪獣が戦っている壁画みたいな絵で、ミサイルがいっぱい発射されていて、戦隊ものの影響もあったのかもしれないですね」
ちなみに、幼少期に描いていた恐竜のほか、『週刊少年ジャンプ』に連載されていた『地獄先生ぬ〜べ〜』(※1)の「人食いモナリザの謎」という話や、エロゲーの人類を捕食する宇宙人の描写などが巨人の原点として挙げられている。どれか一つというわけではなく、さまざまな記憶が複合的に影響しあって、巨人のイメージが作られていったのだろう。
(※1)1993〜99年連載。第34話の「人食いモナリザの謎」は、モナリザの絵が夜な夜な動き出す怪奇を描いたもので、人に似た存在に捕食される恐怖感に影響を受けたと諫山は語っている。
■ 贅沢な自然の中で想像力を育んだ少年時代
ただし、巨大なものへの憧れや畏怖する感情が、諫山の中に根源的なものとしてあるのは確かだ。
「親にビデオを借りていいと言われたら、絶対に特撮コーナーに行って、『ゴジラ』や『モスラ』、『ガメラ』を借りてましたね。お菓子に付いている食玩のゴジラがお気に入りで、これが山だったらここから顔を出してとか、想像を膨らませてました」
「▽引用ここまで。全文は下記でどうぞ
https://news.livedoor.com/article/detail/20326206/
『進撃の巨人』が堂々完結!『ダ・ヴィンチ』2011年6月号の諫山創氏インタビューを特別公開!
(本記事は『ダ・ヴィンチ』2014年10月号からの転載になります)
初の連載作品で累計4000万部突破の快挙をなしとげた諫山創。とどまることを知らない『進撃の巨人』現象の起源だ。異例づくしの快進撃を続ける人気作家ながら、その素顔は飾り気のない等身大の若者といった印象。それでいて、言葉のはしばしに内面的な奥深さを覗かせる。彼のパーソナリティはどのように作られていったのか?
諫山創という作家は本当に興味深い人だ。累計4000万部を突破し、来年夏の実写映画化が決定。もはや社会現象と化した『進撃の巨人』の快進撃とは裏腹に、本人は静かなテンションだ。さまざまなインタビューにおいても中2病であることや、ひきこもりがちな性質であることを隠そうともしない。ありのままの自分を語ろうと言葉を選ぶ姿は、誠実にも見えるし、シャイにも見える。一方で、世の中に対する自分なりの視点を持ち、冷静に自己分析する。過激さや毒を心の内に秘めている印象だ。
大胆な設定と意表をつく展開が作者の内面はもっと面白い。この独特のパーソナリティはどのように作られたのだろう? 作者の“過去”と“今”に迫るべく二度にわたるインタビューを試みた。
■ 緑の壁に囲まれて見えた幼少期の一番古い記憶
1986年夏、諫山創は大分県日田市に生まれた。福岡と熊本に隣接した人口7万人ほどの町で、年間猛暑日数が日本一を記録するなど、夏は暑く冬は心底寒いという典型的な盆地の気候だ。この地で諫山の実家は代々続く梅農家を営んでいる。諫山の原点を探るべく幼少期の記憶を聞いた。
「一番古い幼少期の記憶は、家の窓から見える景色が緑の壁みたいだったことです。まだ幼かったので、九州のどの辺なのか地図的な位置を把握できなくて、漠然と緑の壁に囲まれたところに自分はいるんだな、と感じてました。でも、ほかの世界を知らないので、それが普通のことだと思ってましたね」
――実家が梅農家ですが、どんな幼少期を過ごされましたか?
「両親が共働きだったので、おばあちゃんに面倒を見てもらってたんです。おばあちゃんが畑仕事をしている間は、その横にゴザを敷いて、そこにいろ、という感じでしたね。動いちゃいけないので、苔をずっと見ていた記憶があります。苔にちっちゃいムカデがうじゃうじゃいるのをけっこう面白がって眺めてましたね」
――小さい頃は恐竜を描くのが好きだったそうですね。
「初めて絵と呼べるものを描いたのがティラノサウルスでして、ゴジラみたいなトサカを描いて、恐竜なのか怪獣なのか、みたいな感じでした。なぜか首のシワに異様にこだわってたんです。幼稚園の先生に、シワがいいね、と褒められたりして、そのときの絵が今も両親の寝室に飾ってあるんです。巨大ロボットと怪獣が戦っている壁画みたいな絵で、ミサイルがいっぱい発射されていて、戦隊ものの影響もあったのかもしれないですね」
ちなみに、幼少期に描いていた恐竜のほか、『週刊少年ジャンプ』に連載されていた『地獄先生ぬ〜べ〜』(※1)の「人食いモナリザの謎」という話や、エロゲーの人類を捕食する宇宙人の描写などが巨人の原点として挙げられている。どれか一つというわけではなく、さまざまな記憶が複合的に影響しあって、巨人のイメージが作られていったのだろう。
(※1)1993〜99年連載。第34話の「人食いモナリザの謎」は、モナリザの絵が夜な夜な動き出す怪奇を描いたもので、人に似た存在に捕食される恐怖感に影響を受けたと諫山は語っている。
■ 贅沢な自然の中で想像力を育んだ少年時代
ただし、巨大なものへの憧れや畏怖する感情が、諫山の中に根源的なものとしてあるのは確かだ。
「親にビデオを借りていいと言われたら、絶対に特撮コーナーに行って、『ゴジラ』や『モスラ』、『ガメラ』を借りてましたね。お菓子に付いている食玩のゴジラがお気に入りで、これが山だったらここから顔を出してとか、想像を膨らませてました」
「▽引用ここまで。全文は下記でどうぞ
https://news.livedoor.com/article/detail/20326206/