0001砂漠のマスカレード ★2020/05/05(火) 05:46:15.70ID:v2rFS/XH9
小学校時代は「けっこうデカかった」
現在はFC琉球でプレーする小野。プロキャリア23年目のスマイルだ。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)
当サイトで好評を博した連載『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースで銀メダルに輝いた“黄金世代”のなかから、
小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、稲本潤一、本山雅志の5人に登場してもらい、その華麗なるキャリアの全容に迫ったインタビューシリーズだ。
ここではGW企画として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。
第3弾となる今回は、日本サッカー界最大級の至宝、オノシンジのサイドストーリーだ。サッカーをはじめたキッカケから、自身のキャリアの礎となった“キヨショウ”での3年間を振り返る。
天才をして「これは付いていけない……」と言わしめたのは──。
―――――◆――――◆―――――
小野伸二がサッカーボールを蹴り始めたのは、「たぶん保育園の5歳くらい」だったという。
いろんなスポーツを遊びでやりながら、近所の友だちとボールを蹴っていた。次第にのめり込んでいくのだが、小学校3年までは特定のサッカーチームに属していなかった。
ある日、そんなシンジ少年に転機が訪れる。
たまたま家の前を通りかかった友だちが「これからサッカーのトレーニングに行くんだ」と言い、「じゃあ俺も付いていく」となり、
彼はグラウンドの片隅でひとりリフティングをしていたという。それがどんなレベルの代物だったかは分からない。それを見たコーチに「一緒にやらないか?」と声をかけられ、
サッカー選手としての第一歩を踏み出すことになるのだ。ちなみに小学校時代は「けっこうデカかった」。
天才少年はメキメキと頭角を現わし、13歳で初めてU−16日本代表に選ばれるなど、サッカー王国・静岡でも知られた存在となっていく。
幼少期のアイドルはディエゴ・マラドーナで、それはいまも変わらない。ボールキープしているときの佇まいが、どことなくアルゼンチン代表のレジェンドを彷彿させるのは、偶然ではないだろう。
「なんかね、ボール持った瞬間にワクワクするじゃないですか。いったいこのあと、なにをするんだろうって。小さい頃からずっと好きですね。いつか会えたらいいなと思ってます」
「一番サッカーを楽しんでた時期かもしれない。いま思えば、ね」
やがて中学を卒業し、“キヨショウ”こと名門・清水市立商業高校(現・清水桜が丘高校)の門を叩く。入部してまもなく、それまでのサッカー人生で味わったことのない衝撃を受けたという。
「小学校から中学校に上がったときって、それはそれでフィジカルの違いとか厳しさを感じたけど、それどころじゃなかった。
すぐに『これは付いていけないな』と思って、最初逃げ出しそうになりましたから。冗談じゃなく。
練習がハードすぎて、フィジカルが通じないうえに無茶苦茶スピードが速い。本当にどうにもならなかった」
全国区のタレントが集う強豪校で小野は、1年時からレギュラーを張った。インターハイや全日本ユースで優勝を飾り、最終学年はキャプテンとして最強メンバーを率いたが……。
高校選手権だけは一度も出場できなかった。シンジの七不思議のひとつだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28b01947740294c9614e220e2dcaec00e7f13c47
5/5(火) 5:32配信
https://kruf468c.user.webaccel.jp/files/topics/24702_ext_01_1.jpg
https://f.image.geki.jp/data/image/news/253/14000/13836/news_icon_l_13836_4.jpg
https://kruf468c.user.webaccel.jp/files/topics/24702_ext_01_0.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/mt1newyork/imgs/c/9/c951e315.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=O6YTI7spQ8M
現在はFC琉球でプレーする小野。プロキャリア23年目のスマイルだ。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)
当サイトで好評を博した連載『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースで銀メダルに輝いた“黄金世代”のなかから、
小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、稲本潤一、本山雅志の5人に登場してもらい、その華麗なるキャリアの全容に迫ったインタビューシリーズだ。
ここではGW企画として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。
第3弾となる今回は、日本サッカー界最大級の至宝、オノシンジのサイドストーリーだ。サッカーをはじめたキッカケから、自身のキャリアの礎となった“キヨショウ”での3年間を振り返る。
天才をして「これは付いていけない……」と言わしめたのは──。
―――――◆――――◆―――――
小野伸二がサッカーボールを蹴り始めたのは、「たぶん保育園の5歳くらい」だったという。
いろんなスポーツを遊びでやりながら、近所の友だちとボールを蹴っていた。次第にのめり込んでいくのだが、小学校3年までは特定のサッカーチームに属していなかった。
ある日、そんなシンジ少年に転機が訪れる。
たまたま家の前を通りかかった友だちが「これからサッカーのトレーニングに行くんだ」と言い、「じゃあ俺も付いていく」となり、
彼はグラウンドの片隅でひとりリフティングをしていたという。それがどんなレベルの代物だったかは分からない。それを見たコーチに「一緒にやらないか?」と声をかけられ、
サッカー選手としての第一歩を踏み出すことになるのだ。ちなみに小学校時代は「けっこうデカかった」。
天才少年はメキメキと頭角を現わし、13歳で初めてU−16日本代表に選ばれるなど、サッカー王国・静岡でも知られた存在となっていく。
幼少期のアイドルはディエゴ・マラドーナで、それはいまも変わらない。ボールキープしているときの佇まいが、どことなくアルゼンチン代表のレジェンドを彷彿させるのは、偶然ではないだろう。
「なんかね、ボール持った瞬間にワクワクするじゃないですか。いったいこのあと、なにをするんだろうって。小さい頃からずっと好きですね。いつか会えたらいいなと思ってます」
「一番サッカーを楽しんでた時期かもしれない。いま思えば、ね」
やがて中学を卒業し、“キヨショウ”こと名門・清水市立商業高校(現・清水桜が丘高校)の門を叩く。入部してまもなく、それまでのサッカー人生で味わったことのない衝撃を受けたという。
「小学校から中学校に上がったときって、それはそれでフィジカルの違いとか厳しさを感じたけど、それどころじゃなかった。
すぐに『これは付いていけないな』と思って、最初逃げ出しそうになりましたから。冗談じゃなく。
練習がハードすぎて、フィジカルが通じないうえに無茶苦茶スピードが速い。本当にどうにもならなかった」
全国区のタレントが集う強豪校で小野は、1年時からレギュラーを張った。インターハイや全日本ユースで優勝を飾り、最終学年はキャプテンとして最強メンバーを率いたが……。
高校選手権だけは一度も出場できなかった。シンジの七不思議のひとつだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/28b01947740294c9614e220e2dcaec00e7f13c47
5/5(火) 5:32配信
https://kruf468c.user.webaccel.jp/files/topics/24702_ext_01_1.jpg
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https://livedoor.blogimg.jp/mt1newyork/imgs/c/9/c951e315.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=O6YTI7spQ8M