0001臼羅昆布 ★2020/04/04(土) 15:53:36.19ID:q2mOlh/y9
2020年04月04日 14時00分
http://npn.co.jp/article/detail/200002669
昨年が、ジャニーズ事務所に入所して四半世紀(25年)の節目の年だった嵐・大野智。
大野が、嵐としての活動を「休みたい」と漏らしたのは17年6月中旬ごろ。
以降、何度も話し合いを重ね、20年いっぱいでの休止に踏み切った。
そもそも大野はジャニーズJr.だった10代のころから、ダンスは好きだが、アイドルにはなりたくなかった。
16歳から18歳にかけて出演したミュージカル「ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO」が終わり、劇場が
あった京都から帰京したときは燃え尽き症候群となり、退所の決意を固めている。
故・ジャニー喜多川氏にその旨を、何度も伝えている。
しかし、ジャニー氏はあの手この手で大野をつなぎとめる策を講じた。
95年、フジテレビ系「バレーボールワールドカップ95」のイメージキャラクターとしてV6をデビューさせる
ことが決まったとき、大野に「YOU、バレーボールできる?」と聞いている。
未経験だった上、「できます」と答えるとバレーボール関連の番組をやらされると思い、「できません」と答えた。
これにより、V6最後の6人目が岡田准一に決定したといわれている。
99年には、「レコーディングするから来て」と呼び出し。
のちに嵐のデビュー曲となる「A・RA・SHI」の仮の歌詞を渡した。
そこにはしっかり、“大野パート”と書かれていた。
大野は、「いやっ、ジャニーさん。俺、ダンスをしたくて(事務所に)入ったけど、もう極まったから
辞めたいんだけど……」と、再び気持ちを伝えている。
「嵐が始動した後も、退所したい願望は収まらず。櫻井翔さんと一緒に歩いていた夜の恵比寿で、驚きの言葉を
口にしています。飲み屋さんがたくさん入ったビルをジーッと見つめていたので、櫻井さんが『どうしたの?』
と聞くと、『ホストになろうと思ってさ』とつぶやいたのです(笑)。あながち冗談ではない様子で、事務所関係者にも
伝えていたといいます。当然、『それだけはやめてくれ!』と懇願されたそうですが……」(アイドル雑誌の編集者)
http://npn.co.jp/article/detail/200002669
昨年が、ジャニーズ事務所に入所して四半世紀(25年)の節目の年だった嵐・大野智。
大野が、嵐としての活動を「休みたい」と漏らしたのは17年6月中旬ごろ。
以降、何度も話し合いを重ね、20年いっぱいでの休止に踏み切った。
そもそも大野はジャニーズJr.だった10代のころから、ダンスは好きだが、アイドルにはなりたくなかった。
16歳から18歳にかけて出演したミュージカル「ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO」が終わり、劇場が
あった京都から帰京したときは燃え尽き症候群となり、退所の決意を固めている。
故・ジャニー喜多川氏にその旨を、何度も伝えている。
しかし、ジャニー氏はあの手この手で大野をつなぎとめる策を講じた。
95年、フジテレビ系「バレーボールワールドカップ95」のイメージキャラクターとしてV6をデビューさせる
ことが決まったとき、大野に「YOU、バレーボールできる?」と聞いている。
未経験だった上、「できます」と答えるとバレーボール関連の番組をやらされると思い、「できません」と答えた。
これにより、V6最後の6人目が岡田准一に決定したといわれている。
99年には、「レコーディングするから来て」と呼び出し。
のちに嵐のデビュー曲となる「A・RA・SHI」の仮の歌詞を渡した。
そこにはしっかり、“大野パート”と書かれていた。
大野は、「いやっ、ジャニーさん。俺、ダンスをしたくて(事務所に)入ったけど、もう極まったから
辞めたいんだけど……」と、再び気持ちを伝えている。
「嵐が始動した後も、退所したい願望は収まらず。櫻井翔さんと一緒に歩いていた夜の恵比寿で、驚きの言葉を
口にしています。飲み屋さんがたくさん入ったビルをジーッと見つめていたので、櫻井さんが『どうしたの?』
と聞くと、『ホストになろうと思ってさ』とつぶやいたのです(笑)。あながち冗談ではない様子で、事務所関係者にも
伝えていたといいます。当然、『それだけはやめてくれ!』と懇願されたそうですが……」(アイドル雑誌の編集者)