「自分が平気なことでもお友達がされて嫌なことは、お友達にしてはいけません」
2018/5/3 16:18
「こんなことされたら嫌だよね」「こんなことされたら悲しいよね」「だからお友達にもしちゃダメだよ?」
私たちは幼稚園で、学校で「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません」と教わってきました。
これは優しい子どもを育てるのに、もっとも手早く有効な言葉だと言われています。
でも、主観でしか物事を考えられない人は、自分と似た価値観の人にしか優しくすることが出来ません。
逆に言えば、「自分がされて嫌じゃないことは、他人にしても良い」と言うことになりませんか?
「なぜ #MeToo 運動はジャニーズ事務所やTOKIO山口達也には文句を言わないのか?」(http://blogos.com/article/294572/)という記事を見ましたが、
これだって、別に大した理由じゃありません。たまたま #MeToo 運動に熱心な女性の大半が「被害者に同情し共感する」という主観的感情で動いていたため、
「自分ならむりやりキスされても嬉しい」「むしろ強引に迫られたい」「被害者がうらやましい」と思うような男性に対しては、そこまで関心を示せない人が多かっただけのこと。
そう、私たちは「自分ならどう思うか」を基準にしてしか、他人に優しくすることができない教育を受けてきたのです。
気持ち悪いおじさんに、「手を縛っていい?」「おっぱい揉んでいい?」と聞かれるセクハラ音声データ(※実際にはまだ縛ってないし揉んでない)は、きっと誰が聞いてもゾワゾワするから女性たちの共感を得られたけど
爽やかなイケメンの国民的アイドルに自宅に呼ばれて襲われることは、ほとんどの女性にとって強制わいせつどころか「うらやましいこと」ですらあったので、女性の同情や共感は得られなかった。
つまり私達がずっと教えられてきた「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけません」という教育の過ちが、ここに来てハッキリと出てしまった。
たかがキス程度、うがいすれば済むと思う人もいるでしょう。それはその人の主観で、間違いではありません。
でも、人はみな違う。世の中には「自分がされてイヤじゃない事でも、相手には死ぬほどイヤなこと」は、いくらでもあるのです。
他者に共感するという作業はとても難しい事で、他人の感情を完全に理解することは出来ません。
誰かに優しくなりたければ、相手の気持ちを聞いて、そこから「自分ではない人間の気持ちを」必死で想像するしかない。
その人がイヤだったのならイヤだった、その人が怖かったのなら怖かった、相手の気持ち。
それ以外に正解なんて、どこにもない。自分にとってのイケメンが、相手に取っても同じようにイケメンだとは限らないのですから。
ぼくはいま偏執狂短編集IVというヤバい舞台の稽古をしています。笑笑
タイトルからも分かるように、「何だこれ絶対理解できない」となるような稀代の大悪党たちがたくさん出てきます。
画像:http://i.imgur.com/lrskXFR.jpg 画像:http://i.imgur.com/Di55WPm.jpg
もちろん自分の価値観で考えたら大量に人を殺して快楽を得るとか絶対にありえないし
悪の限りを尽くすことにしっかりとした哲学を持つことも到底考えられない(考えてたらヤバい笑笑)ので
これらの役をやる時に「もしも自分ならー」という思考は使えません。
等身大の高校生のような役柄の演技ならば、自分が過去に経験した感情を思い出して演じることが出来ますが、
自分の過去にも未来にも存在しない人間の感情を演じることは、とてつもなく難しいです。
見たこともない赤の他人です。他人丼の卵と牛肉よりも他人です。
だから、それは脚本の中の本人(役の人)に聞くしかないんです。
「あなたは」なぜこれが好きなの? 「あなたは」なぜこうしようと思ったの? 「あなたは」なぜ人を殺したの?
わからなければわかるまで何度も何度も脚本を読んで脚本の中の彼らに尋ねる・・・
(分からなくても刻刻と本番は迫ってくる笑笑)
でも、でも、この作業こそが普段からも私たちに必要なことなのではないでしょうか。
「自分が」ではなく、「あなたは」なぜそう思ったの?
聞かなきゃ分からない。だって、他人は自分ではないから。
だから、「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません」ではなく、
「自分が平気なことでもお友達がされて嫌なことは、お友達にしてはいけません」
これからは、みんなでこっちにしませんか?
ふうこ
春名風花 公式ブログ
https://lineblog.me/harukazechan/archives/1041516.html
(>>2-5あたりに、関連スレ)
2018/5/3 16:18
「こんなことされたら嫌だよね」「こんなことされたら悲しいよね」「だからお友達にもしちゃダメだよ?」
私たちは幼稚園で、学校で「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません」と教わってきました。
これは優しい子どもを育てるのに、もっとも手早く有効な言葉だと言われています。
でも、主観でしか物事を考えられない人は、自分と似た価値観の人にしか優しくすることが出来ません。
逆に言えば、「自分がされて嫌じゃないことは、他人にしても良い」と言うことになりませんか?
「なぜ #MeToo 運動はジャニーズ事務所やTOKIO山口達也には文句を言わないのか?」(http://blogos.com/article/294572/)という記事を見ましたが、
これだって、別に大した理由じゃありません。たまたま #MeToo 運動に熱心な女性の大半が「被害者に同情し共感する」という主観的感情で動いていたため、
「自分ならむりやりキスされても嬉しい」「むしろ強引に迫られたい」「被害者がうらやましい」と思うような男性に対しては、そこまで関心を示せない人が多かっただけのこと。
そう、私たちは「自分ならどう思うか」を基準にしてしか、他人に優しくすることができない教育を受けてきたのです。
気持ち悪いおじさんに、「手を縛っていい?」「おっぱい揉んでいい?」と聞かれるセクハラ音声データ(※実際にはまだ縛ってないし揉んでない)は、きっと誰が聞いてもゾワゾワするから女性たちの共感を得られたけど
爽やかなイケメンの国民的アイドルに自宅に呼ばれて襲われることは、ほとんどの女性にとって強制わいせつどころか「うらやましいこと」ですらあったので、女性の同情や共感は得られなかった。
つまり私達がずっと教えられてきた「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけません」という教育の過ちが、ここに来てハッキリと出てしまった。
たかがキス程度、うがいすれば済むと思う人もいるでしょう。それはその人の主観で、間違いではありません。
でも、人はみな違う。世の中には「自分がされてイヤじゃない事でも、相手には死ぬほどイヤなこと」は、いくらでもあるのです。
他者に共感するという作業はとても難しい事で、他人の感情を完全に理解することは出来ません。
誰かに優しくなりたければ、相手の気持ちを聞いて、そこから「自分ではない人間の気持ちを」必死で想像するしかない。
その人がイヤだったのならイヤだった、その人が怖かったのなら怖かった、相手の気持ち。
それ以外に正解なんて、どこにもない。自分にとってのイケメンが、相手に取っても同じようにイケメンだとは限らないのですから。
ぼくはいま偏執狂短編集IVというヤバい舞台の稽古をしています。笑笑
タイトルからも分かるように、「何だこれ絶対理解できない」となるような稀代の大悪党たちがたくさん出てきます。
画像:http://i.imgur.com/lrskXFR.jpg 画像:http://i.imgur.com/Di55WPm.jpg
もちろん自分の価値観で考えたら大量に人を殺して快楽を得るとか絶対にありえないし
悪の限りを尽くすことにしっかりとした哲学を持つことも到底考えられない(考えてたらヤバい笑笑)ので
これらの役をやる時に「もしも自分ならー」という思考は使えません。
等身大の高校生のような役柄の演技ならば、自分が過去に経験した感情を思い出して演じることが出来ますが、
自分の過去にも未来にも存在しない人間の感情を演じることは、とてつもなく難しいです。
見たこともない赤の他人です。他人丼の卵と牛肉よりも他人です。
だから、それは脚本の中の本人(役の人)に聞くしかないんです。
「あなたは」なぜこれが好きなの? 「あなたは」なぜこうしようと思ったの? 「あなたは」なぜ人を殺したの?
わからなければわかるまで何度も何度も脚本を読んで脚本の中の彼らに尋ねる・・・
(分からなくても刻刻と本番は迫ってくる笑笑)
でも、でも、この作業こそが普段からも私たちに必要なことなのではないでしょうか。
「自分が」ではなく、「あなたは」なぜそう思ったの?
聞かなきゃ分からない。だって、他人は自分ではないから。
だから、「自分がされて嫌なことは、他人にしてはいけません」ではなく、
「自分が平気なことでもお友達がされて嫌なことは、お友達にしてはいけません」
これからは、みんなでこっちにしませんか?
ふうこ
春名風花 公式ブログ
https://lineblog.me/harukazechan/archives/1041516.html
(>>2-5あたりに、関連スレ)