俺といえばパーラーとの相性の良い時期もあり資金もそれなりにあった18歳の冬一人暮らしを真剣に考えていた
バブリーな日本ではなかったし崩壊後モロ影響受けたのは不動産と建築だとおもうが、まだまだ不景気不景気といいながらも現場仕事はけっこうあったので仕事無くなるって考えはなかった
クリスマスも近い年の瀬に仕事いくと鳶の仕事だったんだが、途中から大雨で現場の親方が「今日はあかんな危ないでこれでしまい」【しまい】ってのは終わりって意味もあるが片付けて終わりにするという意味です
しまいこんで俺は一緒にいった先輩と事務所に帰りお給料げっと!さてさてシャワー浴びてパーラーとおもって電車に乗りいつものパーラーへ