この1年後に良忠は亡くなるのだが、そもそも配給だけで生きる事は可能だったか。何がそこまで
彼を追い詰めたのか。

良忠が判事に任命された同月、司法省は検事総長名で「経済取締の徹底強化」を命じている。
同省は翌年3月にも経済関係の判検事会議を開いて闇撲滅を決議、その直後、全国一斉に列車の持ち込み荷物取り締まりが始まった。

 この強硬さの裏には占領当局の思惑もあった。GHQは米国政府に、飢餓が発生すれば占領遂
行に支障をきたすとして対日食糧輸出を要請していた。だが米国民の血税を使う以上、日本側も最大限の努力をせ
ねばならない。闇撲滅はその一環でもあった。
 だが現実に逮捕されるのは大物ブローカーどころか名もない庶民の方が多かった。夫が戦死し子供を
抱えた女性なども容赦なく摘発されたが、10日以上の遅配が続けば誰しも闇に頼らざるをえない。

 いわば食管法は守れるはずのない法律、矛盾の塊であった。その中で良忠はどうしていたか。
「全くの配給だけなので、生活ぶりは、まことに惨めでございました。主食は缶詰のときは缶詰だけ、豆のときは豆
ばかり食べるほかなく、目方を計りまして四人で分け合っていただきました。子供は、可哀想なので、出来るだけ多くやり、後を二人で分けあいました。野
菜も魚類も統制され、身動きできない有様でした」(山口矩子手記)