俺は現在生涯最大の悩みを抱えていた。
 ともすれば俺という存在を跡形もなく消し去ってしまいかねないほどの超ヘビー級の爆弾だ。
 歴戦の爆発物処理班も匙を投げるほどの爆弾はしかし、タチの悪いことに二つも存在していた。
 そしてその片方には現在すでに導火線に火が点いており、今か今かと爆発の時を待っている。

「どうしたの、俺くん?」

 鼻にかかる甘ったるい声。
 大きな瞳が前かがみになって俺の顔を覗き込む。

「な……なんでもない」

「あっ! 緊張してるんだね? 俺くん今日初シフトだもんねー!」

「お、おう……そうだな、ははは」

「えっへへ。俺くんの初シフト、頂いちゃいましたーっ」

 ぶはぁ、と吹き出しそうになる。
 金剛仁王像も思わずハニカムほどの笑顔を向けられて俺の意識は彼方へ現実逃避を始めた。

 事ここに至るまでの経緯はこうだ。

 ある日の夜、空腹を訴える腹の虫に殺虫剤を撒き散らしながら俺は家路を急いでいた。
 一刻も早く帰宅し夕餉にありつきたかった俺はそのせいで前方不注意となり、駅の改札を出たところで一人の人物とぶつかってしまう。
 小柄なその人物は短い悲鳴を上げるとそのままその場に倒れてしまい、やっちまった、と動転しながらも俺は謝辞を告げて手を差し出した。

「あいたた……」

「すまん、だいじょ――」

 言葉を遮るように俺の腹の虫が鳴いた。それはもう盛大に。どうやら殺虫剤では足りなかったらしい。
 くすり、と目の前で尻もちをつく端正な顔が笑った。

「あははっ。――よかったら、これどうぞ」

 それは、透明な袋に包装されたクッキーだった。
 本日の日付は二月十四日――全国一斉バレンタインデーである。
 モテない男代表の俺は忌々しいカップルどもを見るのが癪でとっとと帰宅しようと急いでいたわけだ。決して悔しいわけではない。決してだ。
 そして俺はこの出会い――
 バレンタインデーにクッキーを受け取るというこの出会いに、運命を感じた。

「じゃあね。お腹が減ってるからって慌てちゃ危ないよっ」

 ばいばーい、と手を振り去っていく後ろ姿を、チキンな俺は見送るしかなかった。