19〜26歳まで介護職してた俺が勝手に語るスレ
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介護との出会いは高校受験の時でした
バスで受験会場に向かう際、地方暮らしの地元には当時ノンステップバスは普及しておらず、昔ながらの段差のあるバス。
乗り込もうとするお客さんの中に足の悪いおばあさんがいて、段差を上がれなかったんだよね
それを見ているだけの自分、何をしていいのかわからない自分の横にいた大学生風のお兄さんが一言「お手を貸しましょうか」
お兄さんの介助で段差を登れたおばあさんは、「ありがとうね」と笑顔で返す
そのやり取りを見て、「かっこええ〜」と素直に思ったのが出会いです >>2
>>3
うつ病になりまして。気を使っていただきありがとうございます。
この後語っていく中でなぜそうなったか出てきます。 高校生になると、吹奏楽部に入りました。
月に2回ぐらい、ボランティア活動として介護施設に訪問演奏へ行くのですが、
初めて行った施設で目をつぶってフガフガ言っている車いすのおじいさんがいたんですね。
介護職員の方に「高校生の方来られましたよ〜」と話しかけられても、表情を変えることはありません。認知症ってやつです。
その方が最前列に座り、演奏開始。曲目は演歌、歌謡曲を中心でした。
とある曲目「あこがれのハワイ航路」を演奏した時でした。そのおじいさんが突然
「はあああれったそらああああああああ!」と大声で歌い出したのです!
その光景に職員の方たちはびっくり。「○○さんが歌った!」と大喜び。
音楽で楽しんでいただけることに深く感動したのと同時に、まるで自分のことのように喜ぶ職員さんの姿を見て、感銘を受け、将来は介護職に就こうと決心しました。 ちなみに入学した高校は私立工業高校。
本来、卒業生の大多数は就職組で、進学は少数だったのですが。。。
1991年生まれの私たちにリーマンショックの不況の嵐が吹き起ります。
本来であれば掲示初日から求職掲示板に所狭しと並ぶ求人票はわずか3枚。
ですので、その当時進学にかじを取る在校生も多く、進路相談で「介護が学べる短大へ進みたい!」と話すとむしろ後押しされました。
「これからは介護の時代だ。君の部活で培ったボランティア精神はきっと社会の役に立てるはずだ。」
その言葉をいただいた時はうれしかったですね。 卒業も差し迫ったある日。タウンワークで介護員募集の記事を見ました。
アルバイト可能とあったので、すぐにでも働きたかった私は生徒指導部の先生に
「将来のための勉強も兼ねて働きたいんです!お願いします!」
と頼み込みました。
本来であればアルバイト禁止の高校ですが、指導部の先生も「特別に」と許可していただいたんですね。
そのアルバイト先が、将来の就職先となります。 私が勤めた会社はデイサービスの零細企業でした。
従業員は当時8人。
アルバイトは自給800円
8:30〜17:30
働きたいですと電話で伝えると、すぐに面接してもよいとのことで高校の帰宅のついでに制服姿のまま面接へ
「高校生だとはびっくりした。若いっていいね。」と驚かれましたが、
面接が終わり「せっかくだから利用者の方々と話していったら?」と提案されました。
吹奏楽部だったこともあり、歌謡曲中心の話題ですんなりと皆さんと打ち解けることができ、その様子を社長さんも見ていたんでしょうね。
会社を後にする際に「働きたかったら明日から来てもいいよ。」と言われました。
うれしくて飛び跳ねて帰ったのを覚えています。 介護先行の短大へ入学するのとほぼ同時に介護のアルバイトを始めた私は手取り足取り教えていただきました。
コミュニケーションからおむつ交換、食事の介助法、車いすの扱い方、上げたらきりがありません。
言ってしまえば短大で学んだこと、試験科目をアルバイト先で復習するようなものなので自分でいうのもなんですが、一気に上達していく感覚がありました。
そして様々な利用者の方々との出会い。そして別れ。思い出はあげればきりがありません。 この時、思います。「あぁ、これが天職なんだな。」
楽しく働き続け、国家試験も無事突破。卒業が近づき、社長に告げます。
「このまま正社員として働かせてください。」
そして私は正社員となりました。 当然と言えば当然ですが、正社員となると業務が一気に増えます。
ですがアルバイトからエスカレーター式に上がったからでしょうね。業務の説明、「給料安いよ」と言われた以外給料体形の説明が一切なかったんです。
しかしそこは培った社員同士のコミュニティで上司へわからないところは聞きながら日々進めていきました。 正社員登用時、基本給は13万円、その他諸手当差し引きあり手取りが12万ほどでした。
あまりその時は給料について特に不満はなかったです。楽しく働けたので。
そうこうしているうち、月日は流れ、2年目の秋を迎えました。 あ、補足としてですが
短大在学中2年間休学しているので、計4年在学していました。 それまでに一緒に勤めていた同期、上司の方々が気付いたらみんな辞めていたんですね
そこから地獄のような日々がはじまりました 私はくれぐれも管理職ではありません。
しかし、従業員の半数以上がパートの方しかおらず、社員も新人の方ばかりになりました。
正社員2年目とはいえ、アルバイト経験がある私は最古参の一人となっていました。
まずは社員が辞めていった中、思い要介護の方を介助できる人が自分しかいません。
上司から降りてくる仕事はすべて私を経由してきます。それをさばかなければいけません。
パートさんから上がってくる問題や対策の改善をし、それを私を通じて上司へ上げなければいけません。
男の私は通所用の車、ボイラー、電化製品などメカニック的なもののトラブルすべて対処しなければいけません。
勤務表作成、レクリエーション立案etc
やることはたくさんありました。 ここで問題が出てきます。
パートさんたちは時間給。私たちは月給(日給月給)です。
当然、パートさんたちの時間は限りがあり、業務の忙しい中新たな仕事をフラれるといやな顔をされます。
そりゃそうです。誰だっていやです。
でも、私には人を動かすスキルがなかった。教えてもらってないとは言いません。言えません。
ふれない仕事は自分でやるしかありません。残業は日に日に多くなっていき、休日も会社へ出ない日は少なくなっていきました。 こういう仕事は真面目な人がやってほしい
だけど真面目な人をフォローする仕組みがないので、よく潰れるんだよね・・・ 仕事が滞り、上司からの圧力が強くなります。
仕事が回らず、パートさんたちからの不満の突き上げも強くなります。
これではいけない、そう思った私は上司と相談しパートさんたちも重い要介護の方達に積極的にかかわってもらおうと技術の習得へ着手しています。
今更?と思うかと思いますが、それは長年の課題でした。
技術を持った方達から辞めていくのですから。
しかし、今回はノンストップです。やるしかありませんでした。 正直言えば介護ってのは家族で行うものだったけど高齢化が問題になったから施設に入れる様にしたんだよね
低賃金でもこき使えたのは不況で誰しもが職を欲しがってたから
でも今は辞める人もいれば経営がダメになって施設が潰れたり逆に増えたりと色々抱えているのが介護業界よ そのあたりから私の限界が近づいていたんだと思います。
当時すでに胃を壊し、吐血していました。
しかし休めません。胃酸が常に上がっている状態で仕事を続けていました。
冬に入るとタイヤ交換など車両の管理や年末〆の仕事、年賀状作成、あいさつ回りなど仕事が詰まります。
日中介護で休む間もなく働き、通所施設なので利用者さんが帰られた後に積まれた仕事をこなしていく・・・
追いつくはずもありませんでした。 ある時、職場で「次に何をしていいか」わからなくなりました。
そして、パニックを起こしました。 ノートに書き留めたチェックリストには100項目近くこなさなければいけない、もしくは締め切りを過ぎた仕事があります。
しかし、時間をフルに使ってもこなせません。
正解がどれかわからず、パニックになってしまったのだと思います。 その日帰宅し、深夜です。
浴室で包丁を持ち、叫んだところで私は両親に止められました。
この後はよく覚えていませんが、仕事を退職し、精神科に通っています。
今も通院していますが、お医者さんから良くなったとのことで今は簡単な仕事を探しています。 かなり細かい点飛ばして書き込みましたが、以上です。
ちなみに残業、休日出勤はすべてサービスでした。1円もいただいていません。
正社員になってから基本給は1円も上がっていません。 お前は俺か…
俺は主任だったけど休みの日も電話がジャンジャン鳴ってたよ
胃も腰も壊して身体ボロボロ
何も残らなかった
長い間お疲れ様 ちなみに労基にサービス残業を訴えるつもりもありませんし、退職理由も労災ではなく自己都合でした。
色々ありましたが、大好きな仕事でした。本当に大好きで、愛していた仕事でしたから。 すいません、この後病院行ってきてからハローワークへ行ってきます。
帰ってきて板が残っていて、何か質問等ありましたら答えていきますね。
失礼します。 20過ぎたから残ってるよ
ハロワの様子の報告もよろしく
いってらっしゃい >>32
傷病手当いただいていて、ちょうど今から傷病手当から失業保険へ切り替えにハローワークへ行くところです なるほど
職探しではないのね
ハロワは理念は悪くないが、空気はよろしくないから長居して変なものに感染しないように気を付けてね 月並みな言い方だけど、辞められて良かったと思うよ。
まだ若いんだし、これまで培った業務スキルはきっとどんな業種でも役に立つと思う。
焦る必要はないから、じっくり仕事に就こう サービス残業どれだけしてたかしらないけど数百万単位なら取り戻した方が良いと思う 連携する他の医療職の給料と差別されすぎだよな
手取り12万とその仕事量、環境は誰でも辞めたくなったり心を病んだりするよ
パニックになっても包丁で誰も傷つけなくて良かったね おつおつ、
若いし純だっただけに長期に渡って無理しすぎたな
経営者に直訴するなり転職するなり方法はあったと思うが…
今後はフラッシュバックしないようにゆるい職場を選ぶといい 読んだぞ
こないだ自殺しちゃって労災になったカーディーラーの店長がこんな感じだったなあ
ギリギリで止めてもらってよかったな
真面目なやつが食い物にされるのよ経営者どもの
お金が大好きな連中な 帰ってきました〜
ハローワークの人も忙しいんでしょうね。超早口で説明されて何一つ理解できなかったw >>38
同年代だと倍以上、同年代の同業種でも1.5倍近く年収に差が開いていましたからね。給与的な意味でもこれから上がることに期待しています。
ボーナスっていいなぁ〜と思ってましたから >>39>>40
暖かい言葉、とてもうれしいです。ありがとうございます。 >>41
ちょっと計算してみました
平均3時間残業×21日=63時間
月平均5日休日出勤(約3時間)=15時間
月計78時間の時間外労働×36か月=2808時間
時給1000円だとしても280万ですか・・・結構な金額ですね。
でも今更するつもりはないです。介護が悪いとも思わないし、職場も悪いとは思っていない。世の中の仕組みそのものがおかしいと思っているので。 >>42
自分の首は切りましたけどねw
ためらい傷ってやつですが。大事にならなくて(他人を巻き込まなくて)よかったです。
すでに親に迷惑をかけましたが・・・しっかり再就職して、安心させたいです。 >>43
今でもたまにフラッシュバックしますね・・・
でも、自傷行為につながるようなひどいやつはもうほとんどなくなりました。 >>44
働いて、それが少なくとも世の中のため、人のため、になる仕事がほとんどなのに自ら命を絶つ人が後を絶たないのはやるせないです。
休める社会、道が外れてもまた戻れる社会になってほしいです。
出世コースっていうんでしょうか。一度外れたら元に戻れない仕組みはおかしいと思います。 >>45
ストライキは・・・起きないでしょうね。
なぜか。働いている人は本当にいい人がたくさんいます。辛い目にあっても、常々「利用者さんが。」が口癖の方がほとんどです。
それで離職に踏み切れない人はたくさんいると思います。 凄く好きで介護の仕事をしていたのだなと思いました。
ただし、好きなものを仕事にした者から言うと、好きだから、報酬のお金はいらないというはダメだよ。
もし少しでも貰えるなら、貰うべき。
君は介護のプロになるべく勉強して、人生を費やしたのだから、それに報われるべきものはあると思うよ。
将来、結婚する時とか子供できた時とか必要なるし、今ではなく将来のためにもさ。 僕も介護職です。よく気付く人ほど仕事が増える、難しい仕事だと思います >>54
本当に大好きな仕事でしたね。こんな仕事にはもう二度と出会えないと思います。
>>55
おっしゃる通り。 業界自体がブラックなのかね?
天職に出会ったなら、じっくり会社を選んで介護の世界を続けるのは厳しいのかな? 欧州みたく公務員にすりゃいいよ
65になったら財産没収納めた額にあわせて均等分配
まー、デンマークみたいに綺麗な国じゃないから無理だろうけどな こうやって訴えない人がいるから続いていくんだろうな
そして賃金が安いから人は来ない
善意と思って悪循環を作ってる典型だわ 介護の短大にいた女食いまくったな。意外とかわいいんだよな。
うまくおだてりゃ中出しもさせてくれたし。
おやがかわいそう。娘がせいしのまされたり 介護業界って良い意味でも悪い意味でもそこで働く人の善意で成り立ってる部分があるからね
1のような人が報われる社会であってほしいが遠いな 特に通所施設は男が正社員で働くようなとこじゃないよな
正職員として介護職やりたいなら入所施設を選ぶべきだった 介護はやりがいもあるし、ちゃんとやろうとすると知識もコミューニケーション能力も判断力も必要な専門性の高い仕事。
だけど能力のない人にもとりあえずはこなせてしまうから待遇面で報われることが難しいよね。
大学出て国家資格も持ってるけど今は全く別の仕事してる。
何故か真逆のクリエイター系w。収入は相変わらず少ないけど自分の能力と評価が直結するだけ良いかな。 >>66
薬理、病態生理、介護保険
介護技術くらいか? >>1です
わー。すごいスレ伸びてて感謝です。
今日はハローワーク付属の機関へ行って面接指導を受けてきました。
何せアルバイトからエスカレーター式に正社員になったものですから、面接の仕方がわからなかったので・・・w
スーツも買わないとなぁ。
>>62
これからの目標ですが、短期目標は社会復帰(就職)です。
長期目標は、うつ病とうまく付き合いながら生活していきたいですね。
介護しているころは結婚や恋愛、遊びや旅行もできなかったので、アクティブに楽しめたらいいなと思っています。 俺も10年介護やってて抑鬱状態の診断されて4年前足を洗ったわ
自分を壊してまでやる仕事じゃない
今は自動車の期間工だ。肉体的には大変だけど変にストレスが溜まることがないからだいぶ楽だな >>68
1なら大丈夫だよ
これまでの社会経験はこの先の人生の礎になっているよ
この数年の仕事に比べりゃ全然マシっていう基準ができたと思う >>68
そっか。ゆっくりする時間も必要だよね
五年介護して、今社福の専門学校通ってるんだけど、同じクラスに鬱の子いるよ。休みがちだけど、なんとか進級できそう
良い道見つけられると良いね。お互い頑張ろう ざっくり読んだ
よく頑張ったね 生きてて良かった
1ならこれから大丈夫
ゆっくりいこう
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