「将棋のルールを最初に指した相手は祖母でした」「負けて悔し泣きをしていたら、母はただ黙って僕を連れ帰っていました」藤井聡太が「自分自身で行動するように育てられた」と語る意味

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丹羽 悔しくてどうしようもなくても、最終的には「負け」を受け入れないといけません。でも人間だから、いつでも冷静になんかなれないわけです。幼い頃の藤井さんは、泣くことで気持ちの整理をつけていたんでしょう。でも、相手や環境のせいにして八つ当たりをしたくなることもありますよね。

 藤井 インターネット上で見知らぬ人と対局する「ネット将棋」だと、対戦相手が目の前にいないので負けたときにけっこう熱くなりやすく、かつては部屋の中の物に当たったこともありました(笑)。

 丹羽 負けを受け入れるために、他に何か試みたことはありますか? 
 藤井 小学2年生のとき、「JT将棋日本シリーズこども大会東海大会」の決勝で、信じられないミスをして負けてしまいました。自分の打った角が、タダで取られる場所だったんです。そのときに舞台上で泣いている姿がビデオにも残っているのですが、後日、6番まであるラップ調の歌にして悔しさを書き残していたようです。

 丹羽 それは面白い。どんな歌詞だったのか、ちょっと教えてくれません? 
 藤井 いや、今となってはまったく覚えていません。当時の実力的にも相当あり得ないというか、ほぼ信じられないようなミスだったので、それが恥ずかしくて家族に対して少しおどけてみせたかったのかもしれません。

 丹羽 今の藤井さんは泰然自若としていて、負けるたびに号泣していた姿なんて、想像もつかないね。劣勢を悟ってがっくりと肩を落とすといった姿は、見たことがありますけどね。何歳くらいから泣かなくなったんですか? 
 藤井 小学4年生、6級で奨励会に入るまでは、よく泣いていました。最初は、将棋を指していくなかで単純に「負けて悔しい」という気持ちで泣いていました。将棋を続けていると、自分がどこで間違えたのかがわかるようになってくるので、次第に自分のミスに対する悔しさで泣いていたのかなと思います。