戦国時代って何で合戦ばかりしてたの?内政重視で国防固めたほうが理にかなってると思うが [623653551]
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みんな武器持ったエテ公やぞ
のんびりしてるとやられる それを解ってなかったから合戦してた
やがて経済圏に飲み込まれる 天皇家をはじめとする朝廷勢のほか、源氏とそれに連なるもの以外の武家すべてを敵に回して源氏一強の体制を作り、内紛を持ち越したまま関東に来て時間稼いだけど結局勢力図をかき回しただけで自滅した源氏等のせい。 よっぽどの僻地ならともかく、領地くまなく固めるのは難しいし、攻めてこないとわかれば周りの国からよってたかって削り潰されるだけだろ
今の日本みたいだな むしろ戦国時代こそ内政重視の時代なんやで
地方ごとに分権が進んで特色が出た時代や
今の体制でもう戦争とかやめようぜ!逆らったら潰す!
ってやってできたのが江戸幕府だからね
幕府にも地方の藩にもお互い得があったからそうなったんだよ 三好に実質の王は追い立てられるしそりゃ地方勢力は基盤増やしたいだろ 領土広がらなくても他国を略奪ヒャッハーしてお土産沢山持って帰れるからね 武田とかは治水やって地盤固めて隣国との折衝片付けて動いて遅かった気がしないでもない 今でもそうだけど、日本人なのに覇気があるかのように演技する奴って何も成し遂げられてないよな 中央政府が崩壊してるので領地の境目の争いとか調停する人が居ないので武力で解決 >何で合戦ばかりしてたの?
そら話し合いでは解決しなかったからやろーがww >>6
ですね、源氏とか足利とか意味のない内紛ばかりだもんな。武士を纏めて号令かければ「いざ鎌倉」で既に日本統一してたのに将軍が軽すぎるのかね。戦国の意味がわからんわ。 朝廷は勢力争いしてるし、後見人になりたい武将だらけだし シミュレーションで盆栽に励んでるのに戦争しかけてきたら頭にくるよね >>19
そうでもないんだよな
一応将軍は権威として担ぎ上げるし
将軍からの停戦命令とか出たら完全に無視するわけには行かないし 石高で国力を決めてるから土地は広いほど良いんだよなあ 初期は可能な限り勢力を維持し、あるところで徳川に忠誠を誓い、徳川が天下を取った後は
改易にされないよう細心の注意を払って生きていくのが勝ち組では 各々が国だったので、そこで国防固めたといえば後北条になるんじゃね 自分の国だといいお父さんでいなきゃいけないが他国であれば若い娘犯せるからだろ 日本人は島国根性丸出しで他人を認めないから争い事バッカリ会社をウチとか言うだろ? やられる前にやらないと生きてけないから
奇襲や先手有利が有利なんで そろそろ大阪の吉村藩も駿府の川勝あたりと蜂起して天皇を連れて上洛しそう 現代と違って地方交付税がないからな
隣の県を襲うしかない >>21
戦国時代になったのは、単純に室町幕府の財政が枯渇して力がなくなったからだよ
鎌倉幕府もそうだが、力がなくなって調停が果たせなくなったら
そんな幕府を頂いている意味がなくなるので反乱も起こる
徳川が統一しても大変だよ
財政なんてみんな徳川家の持ち出しだからね
財政苦しくなるたびに貨幣改鋳やりまくるしかなかったw 和睦の手段での親族の預かり習慣が諸悪の根元かもな
近隣より絶対的優位性に明け暮れちゃう 「がっせん」ていつにまにか「かっせん」になってたよな 日本の不思議なところは天皇公家将軍は戦国時代でも形だけとはいえトップだったんだよね
天皇に自分が成り代わろうとした奴がいないっていう 現代でも政府勢力が弱体化したら、犯罪集団とかが地方を支配しだりして合戦ばっかになるよ
うちは内政に集中するから大人しくしててねって内外に宣言しても、武力がなけりゃ余裕で無視されて暴れまくられるし、税金も取れないよ >>25
それは大義名分に使っていただけじゃないか 内政しても米取れなかったから取りに内政しに行くのだが? ほぼほぼプロレスやぞ
じゃなきゃ嫌がらせか略奪目的 >>1
其れをやったのが大内義隆。
武断派を冷遇した結果、反乱起こされて滅亡。 >>39
平氏が外戚になって皇家を乗っ取ろうとしたが失敗した <新説>寒冷化による農作物の急激な“減収”が『戦国時代』の原因であった
https://arkpilot.livedoor.blog/archives/5257979.html
そこで『戦国時代』なのだが、上の気温変動のグラフで見ると「気温が急降下」している時代であった事が分かる。
「気温が急降下」している時代に何が起こるかというと、次第に農作物の収穫量が減っていく現象が考えられる。
「農作物の減収」特に米の収穫量が低下すると、ごく自然に、人々に食物の奪い合いが起こっておかしくない。
『戦国時代』が起こった背景にこうした「食物(米)の奪い合い」とこれに伴う「土地の奪い合い」があったと考える。 想像力貧困なやつだと人命の存続が土地に左右されるっていう感覚が想像できないんよな
現代日本は地方のスペックが平均化されてるから 奥州は政略結婚で皆んな仲良くしてたのに政宗がぶち壊したんだよな 戦国時代の権力者なんか今でいうヤクザか中小企業の社長レベル
あんまり中央集権化されてないから部長達が言うことを聞かない
ゲームみたいに全国を操作できるのとは違う >>51
滅茶苦茶文武両道だぞ。昔は話し言葉と書き言葉で違うしそれ全部覚えなきゃならんし領民経営もしなくちゃいけないから政治と経済も学ばなきゃならんし。 そりゃ戦国時代って言われたら戦しなきゃ!ってなるだろ? 天下人(てんかにん)とて 手負(ておい)いの猿(ましら)
斬(き)るも 堕(おと)すも 思(おも)いの儘(まま)よ
戦乱(うたげ)の後(あと)に 残(のこ)った屑(くず)は
巧(うま)く拾(ひろ)えば お主(ぬし)のものぞ >>55
領民経営と戦。つまりヤクザと政治家の合の子。 自分がそうしたくても攻めて来るんだからしょうがないだろ 自分で田んぼ耕すより奪い取った方がタイパが良いんだが? >>38
日本は傀儡立てて好き放題するのが好きだからね
天皇から実権奪った将軍を傀儡にした執権を傀儡にした得宗家を傀儡にするんだぞ >>52
地方も色々あるけど、特に5ちゃんねるの人らはテレビに出てくる都市部の風景しか見ない認めないしらない感じない都市移民ばかりだから。 下剋上はウソと言われるようになったが成り上がる方法=暴力となりゃ自分の人生かける奴もおろう ノブヤボでずっと引きこもってたらいつの間にか東日本が北条に支配されてた 戦国時代って何で合戦ばかりしてたの?
↑
合戦ばかりしてたから戦国時代って言うんですよ? ドゥーユーアンダスタン? もともと武士の論理は「一所懸命」ありき
土地利権の為なら親も兄弟も無い仁義なき戦いなの
去年の鎌倉殿を観てたら割りと想像が付くんじゃないの? 当時は領地内の人間が足りてなかったので、とにかく人が欲しい よそから奪うしかないって感じだったのでは 婉曲な「人減らし」目的
昔の農業はとにかく労働力が必要で、大家族が当たり前だった
だから小作人とか労働奴隷としての人身売買もあった時代だしな
けど、これは別の問題も含んでいて
人間は歳を取って死ぬんですよ
代替わりしたら「誰が」農地を継ぐのか?
跡継ぎが全部総取りして、それ以外の子供は何も貰えない
(他の子供に分け与えたら土地が少なくなり収入も減る
だから結婚すら出来ずに労働力として使い潰される
跡継ぎ以外は悲惨な境遇だったんだろうなと
で、そういう連中が何の不満を持ってないとでも?
だからそういう連中を集めて合戦に繰り出すわけですよ
不満が自分達に向く前に余所に擦り付けるのは、別に中国の専売特許じゃないw
不満解消+人減らし、という合理性
で、そんな不満分子を銭で雇って軍隊作ったのが信長
軍隊作りの投資をしたらリターンが求められるわけで全国制覇に向かう事に
だから江戸時代には農業以外の産業開発に力を入れていた
人を統治するのが大変だった時代なんだよ 周りが奪い合いしてて大きな勢力が出来てきているのに自分だけ内政重視ですって言って
現状維持してたら相対的に弱小国になる上に味方もできないから食われるだけ >>1
内政重視するには人手が必要なんだよ
中世なんてどこでも人手が不足してる、それを獲得する最も効率的な方法が領土ごと掻っ攫うこと
今みたいに機械力で解決ができないから戦争やって人と領土を獲得する >>38
大シスマみたいに
教皇乱立しちゃったりしてるけどな欧州も
教皇の存在自体否定しない >>38
なり替わったところで正統性が全くないからだれにも認められず、むしろ朝敵となって損しかない
天皇は武力で脅かしてくる存在ではないのだから、その権威を借りて正当性を得る方がずっと得になる 外国からなんか来ねえよ
市区町村規模でやりあってたんだよ 国防固めて攻めない姿勢をとると隣国に弱気ととられ攻められる
内政で隣国より国力が増大したら隣国は自分が攻められるんじゃないかと疑心暗鬼に陥って連合して攻めてくる
連合を倒して吸収したらそれに危機感を持った近隣の強国が攻めてくる
天下統一できるような最強の国が現れるまで戦は続く・・・ 独占すりゃ国防なんぞ考えなくとも莫大な富が手に入るんだから、自分だけやらないと言う選択肢は無いだろ
それに領土を広げるよりも傘下を増やす方が得だしな
徳川家の安泰がその集大成なんだし 信長の野望でもひたすら内政だけじゃつまんねーからな 結局戦争するのが生業の武士だからね
土地がちゃんと保障されない限りずっと戦争はし続ける
逆に江戸幕府がよくやったなぁと思うわ >>21
娯楽の無い原始時代なんだぜ
戦は貴重なゲームのような感じだろ せっせと狭い土地を内政するより奪ったほうが効率がいい 世界の1/4を支配した
大英帝国凄すぎ、アメリカ、カナダ、オーストラリアをゲット! ヒマだったんだよ
農民以外は、これと言って
やる事ないし
ラジオない、テレビない、スマホない、コンビニない
娯楽がな〜んもないから >>63
戦国時代もそんな感じだわな
朝廷(天皇・皇族・公家)
↓
征夷大将軍(足利)
↓
管領(細川、斯波、畠山)
↓
管領代(三好(細川家臣)、大内(外様最有力大名))
簒奪だと正当性がなくて反発が凄いからこういう風に下に下に権力が下りていく感じになる 室町幕府の瓦解による階級社会の崩壊
下級武士や農民、油売りですら領主になれた
足利や斯波、今川という足利宗家筋を壊滅させた信長の功績だね >>86
クソ朱子学を導入して全てを思考停止
江戸幕府なんて徳川一家を守る為だけに
社会のあらゆる進歩を止めただけの東アジア停滞社会に落した日本史の黒歴史だけどな >>53
すべてはへそ曲がり教育した政宗の教育係の坊主が悪い。 >>90
それにしても内紛を早期になあなあで収めることが功を奏した。
ブリテンの植民地拡大時期の前に英仏の戦争があったけど、フランスはフランス革命もあればナポレオン治世の末期で政治的な意思統一や戦争資金の融通ができない状況になってた。 まあ足りなくなってきたから奪うか、って感じじゃね?
そんなのがいつ来るかわからんから納税して守って貰おう
侵略も防衛も参戦すればメシは食わせてもらえるし掠奪出来ればオイシイし
そのかわり農繁期は無理よ?色々とやる事あるしねーって感じ ゲームとかだとチマチマ内政やるより侵略した方が話が早いってのはあるよね Civ6って内政だけで勝てなくね?
技術勝ち目指してても文化か宗教で負ける >>90
英仏百年戦争はブルゴーニュ公国って
イングランドとシャルル7世のアルマニャック派2大勢力に影響力行使する
巨大勢力あったしな
あくまで国内勢力だけの日本史じゃ考えられないけど 同盟とか軍団とかいまいち手中に収めたって気がしないんだよね
但しゲーム内に限る >>18
ガンダムもコロニー落とし前だったら経済制裁と国連非難決議ぐらいで済んでた もともとの土地の境界争いとかがあるから争いの種はいくらでもあった
将軍の統制が効かなくなり大名や領主が自力救済志向になって勝手に武力で解決しようとするようになっていった
とはいえ、一番の原因は前スレにも出てる気候変動による収穫減だろうけど(応仁の乱の根本原因、そして、戦国時代へ) 文字も読めずにやってから理由考える平安武士とやると同時に理由を考える鎌倉武士に比べたら戦国大名は文字読めて手紙でやりとりできるだけ文明人だからな >>106
地方分権の限界
中央集権しないと外国に対抗できないのに旧態依然とした仕組みにしがみついたから アホみたいに戦して武力高めてなかったら元あたりに侵略されてたと思う >>106
260年以上も続いたものが
何で「あっさり」滅ぶんだよ(--#) 結局幕末まで残った大名はほんの一握で、堅実に乱世を生き残ってもほとんどが消えた
早くから徳川に取り入るか、伊達前田島津ぐらいの勢力がないといけなかったな >>5
アホだなぁ
土地によって作物の取れ高は全然違うし
国防かためたって武田信玄の土地みたいに痩せ細って年中氾濫ばかりしてる川を抱えてりゃ余所の土地が欲しくなるのも当然だろ 世界的に人口が増えてた時期で水源と耕作地を奪い合ってたんじゃなかったか。
信長は商業地重視だったけど。 合戦を好んでしたのは信長くらい
他は揉め事を武力で解決しようとしてただけ >>115
世界的な寒冷期で収穫が落ちまくってたからだろ >>116
各地の大名は天下統一とか余計なマネすんな、だったろうな >>116
伊達政宗なんかは張り切って揉め事起こしそうだけど >>116
揉め事だって殆どが合戦する為の建前で
殆どがその為に仕組まれたものじゃん 相手の国力を削るのが第一目標だからな
仕掛ける側はいかに自軍の損害を少なくするかを念頭に置いていた
攻めにくい場所が攻められにくかったのもそのせい >>60
ソレがあるもんな、最初に誰が始めたかわからない恐怖だよね。ドミノ倒し戦国時代。 >>115
信長だって水源を取りに行ってたろ
主に水運が狙いだったけど >>63
最新の研究だと長崎延期は源氏と一緒に北条を裏切ろうとしてた いや、むしろ食料が不足したら戦争は起きないよ
腹が減っては戦はできないというように、兵士を雇って戦争するには多大な食料が必要だし
大規模で組織的な戦争は経済的な余裕があるから行われるんだよ
むしろ戦国時代は既成の権威は失墜したが、通商能力と移動能力、生産能力が向上したから、全国的な戦争ができたんでしょ
武器と食料が大量生産され、戦争をする余裕が生まれた
地方豪族、中産階級の台頭というやつ
逆に江戸時代に平和になったのは、鉄砲が大量生産されて、戦争の被害やリスクが向上し過ぎたからでしょ
城に立て込もって鉄砲で武装したらまず攻略不可能になってしまう
膠着状態と厭戦気分が増えて、みんな戦争やらなくなったんだよ、金がかかりすぎるから
実際日本史の最大の内乱は大阪夏の陣で、もう現代までそれを越える大規模な内乱は起きてない >>122
王権争奪戦で領地の奪い合いはあんましてなくね? >>116
むしろあの時代の教育水準とか社会システム考えたら武力か武力を背景にした話し合い以外で
揉め事がまともに解決するわけないんだよなぁ お前らが思ってるような自国の力を増大させるための戦争の方が少ないと思うよ 内政重視で豊かになったら周りから狙われて攻撃されるだろ そんな、なろう小説みたいなオレつええええなSLGがあったら一度遊んでみたい
隣国が攻めて来ても、戦費も被害も殆ど無しで撃退出来るとか、初回はノンストレスで楽しいだろう >>135
何が楽しいのそれ
ゲームとして成立してないやん NPO団体見てたら分かるやろ。利権の取り合いや。
他が潰れたら自分らが潤う。だから悪口垂れ流したり平気で攻撃すんねん
結果、予算いっぱい踏んだくれても活動内容を向上させるか?
どこもそんなことするかよ!全部自分らの取り分や。 >>94
言うても信長は最後の最後まで足利を存続させたかったんだけどな 自領を育てるのは時間がかかるのでよそから奪ったほうが楽
交易のために自前の産業を育てていた大内氏は部下が不満を抱いてクーデター起こして自滅した 信長の野望を内政重視でプレイしたらあちこちから攻められて潰された >>1
楽市楽座とか聞いたことない?
授業中寝てたんかw
結局富国強兵したほうが勝ってる 合戦はそう多くない調略で決まることの方が多いので内政で発展した国は狙われる 余裕かましてた北条氏が自慢のお城で負けちゃったからなー 合戦せざるを得ない時代、それが戦国無双だよ
いろいろ美化されてるけど戦国時代とか金正日とかチャウシェスクとかフセインが争ってるだけな時代だからな まあ、戦う気がないのなら、どっかの有力大名の下についたほうがいいわね
総大将にならなきゃ、日本じゃ中間クラスは降伏したら、許してもらえる 立憲民主党や共産党が政権取ったら大変なことになる
今と同じ 21世紀のアフリカだって略奪した方が手っ取り早いって知ってるんだし
領内でシコシコやってるならそこで実った果実手に入れるわな 日本はまとも 狩猟民族なら破壊し、レイプして、最後奴隷にする 中央政府たる室町幕府が応仁の乱で弱体化して、地方豪族である戦国大名を統制できなくなって、
戦国武将達が領土拡大の合戦繰り返したため まあ、あんまり歴史書に残ってないだけで、平安時代や鎌倉時代や室町時代でも、地方は内乱、反乱、小規模の合戦は慢性的にあったと思うぞ
たまたま戦国時代から、紙の記録能力も発達して、地方の戦さが記録に残りやすくなったというだけだろ
あと、日本人は歴史が好きだから、江戸時代に講談として戦国時代の戦いやエピソードがよく話題になった
今の歴史ドラマも、そのころの講談話が元ネタになってる
川中島の合戦の信玄と謙信の一騎打ちとか
最近は地形が合わないから、第五回の川中島の戦い自体が創作なんじゃという説もある >>51
そんな低いレベルじゃない。領国経営に築城や街道整備は今も通用する以上のハイレベルで成り立ってるよ 戦って占領したらちゃんと治めて発展させてるんだから野蛮人とは違う でも江戸時代には、徳川幕府の暗黒統制で街道は馬車車両通行禁止
海路も遭難当たり前の小舟に帆は1枚までに限定
中世時代へ逆戻りしちゃったのよw 国内全てがその考えなら可能だが色んなところで山猿大将がおるから合戦ばっかしてたんやろ >>156
そりゃ嘘だろ
江戸時代は、農地面積も飛躍的に発達したし、世界有数というぐらい商業的にも発達してたぞ 朝廷が官職エサに権力者を争わせていた
分割して統治せよ >>159
江戸初期に農業発展と人口爆発したのは豊臣政権の太閤検地によるもの
「一地一作人の原則」 荘園小作から、自作農へのパラダイムシフト
革命的土地政策のお陰だよ 関東って平安時代からずっと内乱続きで危険だったから
室町幕府も関東公方府の独立認めてたけど
関東は応仁の乱より先にグチャグチャになったな >>159
だいたい三河の庄屋脳レベルの江戸幕府の暗黒規制と鎖国がなければ
大航海時代~植民地獲得時代で日本社会と経済の発展はそんなショボい程度のものでは済まないわw 寒冷期→農民の収益ダウン
→都市部に流入&食糧物価高→社会問題化
→政情不安 防衛だけしても疲弊していくだけだし恩賞も与えられないから家臣に見放される 合戦ばかりしてたおかげで軍事力が高水準になって秀吉の頃に明征伐まで踏み込んだんだがな >>13
そんなふざけた山賊経営やってたのはごく少数派だぞ、、、 商業に対するセンスは秀吉と家康では段違いだったからね 徳川幕府が長期政権になったのは織豊時代から武士の土地分配システムを変えたからだとか
海外出兵しないと恩賞与えられないシステムから日本列島だけでも済むように 戦国武将しか誇るものがない田舎って寂しいよな
その数百年前から栄えてる田舎から見ると痛々しい 武器がどんどん発達していってたから、刀槍鎧弓鉄砲をどんどん生産できる体制を整えなきゃいけなかったんだよな
戦国大名はヤクザの親分というよりも、経営者の社長に近い
戦争は事業の一つだからな
すぐに砦を作らなきゃいけないから、普請っていって、築城担当武将みたいなのもいた
優れた軍略家とは優れた築城家、建築家でもあった
もちろんヤクザの親分みたいなのもいただろうけど、そういう奴はすぐに淘汰された >>170
家康が江戸幕府初期にものすごい武士の大リストラを行ったらしい
そのせいで大量に浪人が生まれて、その浪人は大阪城に集まって、大阪の陣の主要兵士になった
大阪の陣というのは、徳川、豊臣のお家対立に見えて、実は武士と浪人の階級闘争でもあった
それに勝ったから、浪人たちを鎮圧できて、後の長期政権につながった
関が原の合戦よりも、大阪の陣のほうが戦争としては規模がでかいからな
家康も死ぬまで苦労したんだよ >>41
大義名分に従わなけりゃ朝敵として四方八方から攻められるだけだぞ 日本全体で見るとどこかしら合戦してたけど
各国単位で見るとそこまで派手にやってたわけでもないっていうか
近畿と織田家くらいじゃね年内に複数回戦闘するのが当然になってたのって >>154
領国経営と戦。つまり政治家でもありヤクザでもある。 戦国時代は合戦ばかりしていたというのは逆だ
合戦ばかりしていた時代のことを戦国時代というのだ 南北朝時代のほうが戦国時代より戦いの仕方がひどい
天皇家が割れた挙句
南朝についたり北朝についたりしてフラフラするのがいるし 鎌倉とか室町の政権って明らかに傀儡政治になってたのに江戸幕府って将軍が権力者であり続けたのは何で? >>182
信長がまさにそれだな
大金使って鉄砲大量生産して ぼんやり内政してたらしてたら秀吉が兵力10万に育っちゃって時すでに時間切れって大河でやってんじゃん >>168
年貢も払わない(後の)藩に属さない山岳農民は戦国時代でも活用されてたよ。
一部の地域山寺や、山岳信仰の人々、それから傭兵を出してだ武装農村。一部は後に山伏や忍者として誇張された存在になってるけど、戦国時代の初期では近畿と東海あたりで戦闘が行われたって話がそれなりに残ってるよ。 昔の中国ですら内戦しかしてないんだから
自国の歴史だけ見てるのアホだと思える 当の農民どもが米の収穫終わって隣村と戦争したくてウズウズしてんだから合戦も内政の一種よ 村が豊かだと山賊が来る
見張りをたてて自衛するようになる
生産力と戦力は同時に上がっていく >>190
その山賊とやらも実は隣の村の若い衆とかいうオチも定番 内政って言うけど田畑に使う水問題の解決させるのにとんでもない金掛かるぞ
今の地図みても分かるけど貯水池が昭和にやっと完成なんて珍しくない パラダイスみてえな国を作ってるの人が圧政に苦しんる隣国の民を見たら解放し行くだろ知らんけど >>164
物を知らない田舎者か?
三河の源頼朝、三河の足利尊氏、三河の徳川家康が完成させた、洗練された日本統治システムなんだが?
日本の歴史(中世~近世)
◆鎌倉幕府(1185~1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338~1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国幡豆郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467~1477年)◆
【勝者】細川政元:清和源氏、細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603~1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614~1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 >>191
当時の農村の若い衆は血の気が多い感じだったそうだからなあ
やられっぱなしでいじけてるような人々じゃない
現実は映画や時代劇とは違うんだよなあ >>1
国防重視の藩もあったけど、結局生き残れなかった。
日本も専守防衛では生き残れないだろうな。 領地を奪れ
責めて責めて、責めヌく戦国の青春
あの雄叫びは、掘る方か。掘られる方か。 あんな荒れた時代に生きてたらストレスで禿げると思う。 合戦ばかりしてたから「戦国時代」って言われてんだよ馬鹿かw >>16
豊臣秀吉の日本は
世界一の軍事力を持っていた
かのトルデシリャス条約に挑戦できたのは
世界で秀吉ただ1人
彼はインドまで領土化する予定だった
残念なのは彼は志半ばで死去したこと
ちなみに
太平洋戦争は彼の遺志を継いだもの >>164
豊臣秀吉の日本は
世界一の軍事力を持っていた
かのトルデシリャス条約に挑戦できたのは
世界で秀吉ただ1人
彼はインドまで領土化する予定だった
残念なのは彼は志半ばで死去したこと
ちなみに
太平洋戦争は彼の遺志を継いだもの >>202
朝鮮との海戦で圧倒的に負けてますやんw >>187
色んな言い方があるけど、忍者や山伏って言うと特定の地域のみになってただでさえ限られた情報がバラバラになる。例えば街に出てくれば穢多非人とされた人々もいるし、街のハズレや山間で(被差別)部落と言われた村もある。
5ちゃんねるでたとえば部落と言うと、海外からの移民部落のはなしになって話がとっちらかるけど、歴史の世界でも正式な史料に出てこないこれらの地域、民族はイロモノ扱いでなかなかまとまった話にならない。そのため風土史料などでバラバラな話を聞いて想像するしかない。
カタチは色々だけど、史料に出てこない藩や所領に属さない人々は、多分色んな人が想像してるよりも多く、日本全国に江戸時代まではいただろうと思うよ。 戦争自体が内政な感じ(´・ω・`)
戦国時代終わったら、藩ごとの内政で成長終わったじゃん。 内戦は外国との戦争に備えて練習試合をしていただけだ 未亡人めっちゃ多かったと思うのですがそれはどうなったの? >>1
いくら内政して国を富ませたところで、外敵に攻められて負けたら全部持っていかれるだけじゃん。 奪い合うと足りないけど
分け合うと余っちゃうんだなァ〜〜〜〜〜 応仁の乱前からだけど冷静に見たらくだらない家督争いが意外に多いよな >>214
ほんと家督争い多いな
江戸幕府がそこを厳格化したのがよくわかる 応仁の乱が
複数の家督争いが泥沼化して
挙句に京都が荒れて誰得なんだって感じだしなあ 後継ぎ問題を解決していなかったせいで武田は滅び上杉は弱体化した
信長はさっさと家督譲ったけど謀反にあって二人とも死んだ >>214
武士は「一所懸命」が本分だから
土地所有権こそ全て!親も兄弟も親類縁者も無いの
そこに有るのは「仁義なき戦い」だけ >>221
日本に限らない
世界中が、いくさ・戦争の真っ最中 むしろそれだけが世界の歴史だよ
戦争と混沌こそが時代の革新の母 科学技術も社会制度も進歩する為の呼び水なの
西欧社会が科学的技術や社会システムで世界の優位に立てたのもそのせい
脳死 徳川太平の時代() なんてろくなもんじゃないの >>221
欧州はカトリックと新教の対立激化で
どこも大変でしょヴァロワ朝からブルボン朝アンリ4世にかわる頃のフランスとか 内政やって国防に力を入れても結局は
小田原城囲まれた北条みたいになるんじゃねえの >>215
足利義教が独裁権確立のために管領家の相続に介入して引っ搔き回したから後にお家騒動が多発することになったようだ
独裁権確立して全国統一後にすぐに謀反で弑逆されて将軍親政が瓦解し将軍権力が脆弱になったのがまずかったな
足利義政は再び将軍親政体制に持ち込もうとしたが諸事情で強権を発動できず応仁の乱勃発… >>186
いや自国の歴史さえしっかり見れない奴だから 日本の合戦なんて村同士の祭りや運動会みたいなもん
実際、農民がおにぎり喰いながら見学してたし
中国や西洋とは全然違うよ >>230
そりゃ中国の内戦なんて王朝打倒の革命で王朝は絶対許さないマンだし革命側もイナゴ攻めで味方しないなら皆殺しだしで
食い物がなければ敵を食らって戦うという超絶悲惨な殺し合いだからそれに比べれば日本の戦国時代なんて
大名や領主がじゃれあってるようなもんだしな
中国人からすれば「え?、これが戦国時代??、日本は戦国時代までゆるキャラあるかー」だわ 戦国時代は寒冷期でそもそも、米がそんなに出来なかった。
農法等もそこまで進んでない。
なんで、隣に攻め込むのは物を奪うためなんだよ。普通に攻め込んで略奪したり奴隷にして売っぱらうのがデフォ。
尾張が強かったのは、肥沃な濃尾平野があったことも一つの要因。 美味い物が出来る土地が欲しい
隣の畑を力ずくで取るしかない 攻め込んだ先で略奪したり人攫ったり畑や田んぼぶち壊してくのは定番だから
生産基盤の壊れた地域は復旧優先でそっから兵隊採るのも難しくなるので、こちらが侵略される確率が下がる
兵農分離以前は、攻撃は最大の防御を地で行ってたんだな 織田信長以外は農繁期には敵味方戦争やめて農業してたが >>230
西洋も百年戦争くらいまでは
やあやあわれこそは、で戦闘して、戦が終わったら貴族は買った方と負けた捕虜と祝宴やってたんだろ? >>238
捕虜になったジャン2世の能天気な捕虜生活は笑えるw百年戦争
トンビが鷹を生むって表現通り
息子が賢王シャルル5世 いまなお甲子園が隆盛を極めている理由が
ようやく解けたぜ! センゴクの仕掛人正親町天皇が秀吉のような百姓から今川のような大大名まで誰でも参加できるトーナメントをつくりあげたわけだ。 >>231
そうなんだよな
昔は中国史好きだったけど、あいつら容赦なさすぎて最近は中国史を見るのがきつく感じる 隣の領土が欲しくなるのが民度が低い発展途上国のあるある 武士の棟梁である征夷大将軍、足利家が地方の武士を統率できなくなったから
京都に幕府置いて、文弱な公家みたいに貴族化したのがマズかった
征夷大将軍(東国の蝦夷を征伐する大将軍)なら、東国に幕府置いた方が良かった 為政者が横暴で長尾景春なんて美男子というだけで上杉顕定から
徹底的にいじめられたからな 足利将軍て何度も敵に攻められて簡単に殺されてるけど、
狭い京都に難攻不落の宏大な城築けなかったのも原因かも知れない
やはり京都市内に幕府置いたのは失敗だった 室町幕府の権威が落ちてたから戦国の世になったんだろ
だが信長に滅ぼされる(散々怒らせたあげく追放)まで生き延びてたのは少し不思議だな
直轄軍(旗本)みたいなのはほぼなかったんだろ
やはりそこは権威に弱い日本人だからか? >>252
能と狂言もあるだろ?
能は権力者向けのハイカルチャー、狂言は一般人向けのサブカルチャーとはっきり分かれていた >>239
ジャン2世がまさに中世で、シャルル5世がまさに近世なんだろうな
息子から見たら親父は脳天気なお花畑老害で、親父からみたら息子は人情味のない世知辛い苦労知らずのバカ息子、といったとこだったんだろうな
ローカルな零細企業とかで今日も似たような場面は繰り広げられてそう >>246
>>248
京はおろか鎌倉ですら軍事拠点としては時代遅れになったからな
だから関東の足利も古河に逃げてから鎌倉には戻らないし
北条も大船に支城作ってそこから鎌倉を見張ってた
徳川ほどの大名が関東移封になっても鎌倉を拠点にするなどあり得ない状況だった >>27
でも石高で決めるってことは土地が痩せてるようなとこはいくら広くてもなん万石って表記では雑魚扱いになるね 千葉氏のお家騒動は太田道灌が介入して「東京に逃げてきた千葉氏」を生み出したな >>257
倭寇絡みで応永の外寇とか紛争あったけど
結局大内が黒幕になって倭寇をあやつって中国や朝鮮荒らすようになった >>249
いくら権威が落ちようが幕府以上の権威はないからね
そりゃ利用するわな >>221
ドイツなんて国内統一ができたの19世紀だぞ
ビスマルクとかカイザーの時代だな
それまでずっと小公国の群雄割拠で、メディチ家かイギリスの余った姫を貰って後ろ盾について貰ってた >>46
少し違う、嫡子がなくなり生き甲斐がなくなってから突然周防で小京都を目指し始めたから露骨な変節漢
内政家というほどでもなく、ただのイエスマン好きのゲイ
尼子経久や北九州と争ってた頃は全然好戦的だった >>244
人間が考え得る残虐行為を全部やりつくした感じだからなあ…
確かに直視するに忍びない歴史だわな
中国史は暴力と恐怖ではまともな社会は築けないことを教えてくれている
中国史上最強格の元物乞い皇帝朱元璋は汚職を嫌い汚職撲滅のために汚職官吏(濡れ衣もあったろう)を大粛清し
汚職官吏の剥製まで作りまくって各役所に設置して戒めとしたが、結局、汚職社会撲滅に失敗した
中国では何度も人民革命でグレートリセットして国を再構築したが、その結果は全部失敗だったな >>263
大内義隆は謀反直前には尼子と争ってた備後を平定してたし全く好戦的ではなくなったわけではないと思う
一説には中国皇帝型独裁権確立を目指したために領地の経営権を奪われる形になった武断派の怒りを買い
謀反になったというのもある >>55
戦に領民を借りだす以上、平時から土木や民政に頑張らんとまともに戦ってもくれんだろうし、家臣も愛想つかして謀反起こすよ。農商業の繁栄がなきゃ税金も入らんしいつまでも町外れに木造平屋の自称山城住まい。 >>230
そのあたりの実情実像知りたいね。一応完全武装で緊張して領地境まで進出して、あわてて相手の家臣が走ってやって来て、ちょっと待ってて! ていって城に戻って急遽会談となり2ー3時間待ってて結局攻め入らず退却しておわるとか。そんなのもあったんじゃなかろうか。 >>171
中国と比べたら京都だって未開の土人国だったのに国内で優劣つける意味分からん >>255
当時の川と沼と入江だらけの関東は拠点としてどうだったんだろうね >>248
配下にうちの庭の鴨の雛が可愛いから見に来てと誘われて行った先で暗殺されるのは日頃の行いを省みるしか防く方法無かったと思う >>269
皆んなそんな印象なんだろうけど
川崎・浅草近辺はとっくに盛場として栄えていたし、多摩川・隅田川の舟運で国分寺や岩槻あたりとの交流は盛ん
東を向けば関東有数の重要戦略拠点・国府台がある
人口も産業もかなり発達していて、関東経営の為に江戸ほど利便性の高い場所は無かったし、その為の土地開発を徳川家は天下普請としてやりまくった
その先見性が維新後に、大阪首都論を蹴飛ばして遷都される事になる >>269
東京近辺は湿地帯で大規模な軍事行動しにくいから攻め込まれにくいんじゃね?
まぁ徳川幕府も利根川付け換えるまでは苦労したみたいだし当時は満足な街道も繋がってないから転封されてキレそうになるのもわかる >>271
鎌倉初期に比企や畠山を潰し足利から奪って北条得宗家が武蔵守押さえた当時から重要な土地で米の一大生産地だったと見たこと有るわ >>272
江古田・沼袋の戦い(太田道灌と豊島氏・長尾景春)
高縄原の戦い(品川駅西口、北条と扇谷上杉)
国府台合戦(第一次:北条と小弓公方足利、二次:北条と里見)
東京近辺の合戦は有名でないだけでそれなりにあるし、第二次国府台合戦では江戸城代討死に発展してる 徳川入府前の高輪〜江戸城は飯倉や赤坂を経由してたから、芝を通って日本橋まで直線的に引く街道
は徳川が沼や入江のあったところを開発したおかげとは言える
入府前でも世田谷の上町や亀有上宿〜新宿(にいじゅく)は当時から宿があって近辺の城は入府後に潰されたので
徳川幕府時代とは異なる街道筋と多極的な城や城下町はすでに存在してる それやってた守護大名は悉く下剋上されたんだよなあ
やらなきゃやられる時代 そんなことやったら周りのくにに分割統治されるぞ
朝鮮半島奥義焦土作戦こそ最強 鎌倉って聖域な感じ。争う場所じゃなくなってる(´・ω・`)
関東は両上杉を下剋上する配下領主がいなかったのが。今川の配下が侵略してきただけで。
栃木は宇都宮氏を壬生氏とか皆川氏が乗っ取りかけてたけど。 >>1
内政だけやっててどうやって天下統一するんだよアホ 戦国時代なんて隣の村同士の土地や水とかで揉めて殺し合いしてた時代だからな
それを収める国すら無かった
織田信長だって家督を継いだ時に親戚から認められず1国1城からのスタートだった
それを織田信長は14年かけて織田家の親戚を攻め落として尾張統一を果たした
そのノウハウを生かし、今川義元、朝倉義景、武田勝頼などの大名を倒して
領土を奪い政治・経済で発展することができた >>21
中央政権での内紛ばかり起きて大きな戦争になったことが原因
そのせいで地方が見捨てられたのであっという間に治安が悪化して
村同士の争いすら収められなくなったのが戦国時代
織田信長は若い頃に支配する村同士の争いに出向いて采配してたけど 理にかなっているという前提がなりたっていない
鎌倉時代は凄かった 疑心暗鬼で身内を次々と惨殺
人間が成長しなきゃ、理もくそもない ほとんどの大名や家臣は与えられた領土の開発を行っていただろ
東京湾に流れ込んで氾濫を繰り返す利根川の流れを変えたのなんかはかなりの事業でしょう
信玄堤とかも有名 >>264
何故◯子や◯学など己を律する教養や賢人が出できたか尊ばれてきたか、裏を返せばどうしようもない暗闇が拡がって支配していただけだったんだよな。
何度も一からやり直しても結局暗闇に取り込まれる、一種の呪いや宿命見たいなのがあの土地には有るんだと思うよ。 お隣の人と喧嘩して勝てば、合法的に相手の土地や家奪えるとしたら ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています