日帝は朝鮮民族をこの世から永遠になくすため朝鮮語の使用を禁止し、
日本語の使用を強要した。

「内鮮一体は、国語常用から」のスローガンを掲げて
官庁、会社、学校、工場ではもちろん、家庭と教会、風呂場でも日本語を使わせた。

日本語を「国語」と策定し、日本語を話さなければ罰金を科したり、
肉体的制裁を加えた。

果ては、日本語を話さない人には、汽車の切符も売らなかった。

朝鮮の作家に日本語で作品を執筆することを強要し、
日本語による「国民文学」雑誌まで発刊した。

日帝は、1940年からは「創氏改名」の美名のもとに朝鮮人の姓と名を強制的に奪う、
永遠に許しがたい罪を犯した。

民族の魂と精神が反映され、悠久な歴史が宿る朝鮮の地名を
日本式に変える行為もためらわずに働いた。