■日本市場とは異なる販売戦略が奏功
アメリカの学生寮でも定番の食べ物になっているという日本生まれの「カップヌードル」。開発から、アメリカ進出の歴史までメディア「カンバセーション」にオレゴン大学の日本文学、カルチュラル・スタディーズ、ジェンダーを専門とするアリサ・フリードマン教授が寄稿している。
《2006年12月、東京の店舗に並べられたカップヌードル Photo: Andy Rain / Bloomberg / Getty Images》
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■文化の交錯を物語る存在
コンビニエンス・ストアでカップヌードルの容器を見ると、大学寮や安くて簡単な食事を思い出すかもしれない。
だが、この象徴的なパッケージがコスモポリタニズムを表していた時代があった。この簡単に持ち運べる食べ物は、アメリカのテイストが加わった日本の大量生産食品という可能性を象徴していたのだ。
カップヌードル(Cup Noodles)は、1971年9月18日に翻訳ミスのため「S」が省かれた英語名(Cup Noodle)で発売された。白、赤、金色のカップからフォークで直接食べる携帯用インスタントラーメンだ。
私は、アメリカと日本の間で商品がどのように移動し、その過程で生まれる新たな慣習を研究している。
カップヌードルは私にとって、文化の交錯を物語るものであり、その太平洋を越えた旅は、第二次世界大戦後の日本がアメリカをどのように見ていたかを示している。
(>2以降へ)
日清のカップヌードルがアメリカで「学生寮の定番の食べ物」になるまで
https://courrier.jp/news/archives/273513/
2022.1.10 KODANSHA Alisa Freedman