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3月10日、皇軍によって完全に占領されるまで、久しい間、重慶の蔣介石軍を援ける物資を陸揚げしてゐたといふ
ビルマの首府ラングーン川港が、眼下に見えて來ました。


支那人はマンダレーのことを瓦城と呼んでゐるが、なるほどこれは瓦のお城だね。」
さらにあちらこちらと町を廻りましたが、いたるところに破壞された佛塔や燒かれた民家が、
あはれな姿を殘してゐました。

「重慶の暴兵どもが、ビルマ人が命よりも大切にしてゐる寺院やパゴダまでも、このやうに破壞したのだ。
英蔣軍事協定にをどらされて、北部ビルマ死守を大げさにとなへて
ビルマ・ルートを進攻してきた重慶軍にとって、このマンダレーが、墓場となったのだなあ。」