【速報】チベット人、大使館前で講義デモ 俺「フリーチベット!フリーウイグル!フリーアイヌ!琉球」
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チベット人の抵抗運動が中国に武力鎮圧された1959年の「チベット蜂起」から62年となった10日、在日チベット人らが東京港区の中国大使館前で抗議集会を行い、チベット自治区での人権弾圧の即時停止を求める声明文を大使館に届けた。
【画像】日中間の主な懸案
声明では、チベット蜂起以後、自治区では中国当局により言語や宗教など固有の文化が奪われ、2009年以降、164人以上のチベット人が抗議の焼身自殺を遂げたと強調。その上で、インド北部に拠点を置くチベット亡命政府との対話を再開し、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が提唱する中道路線を受け入れるよう求めた。
在日チベット人コミュニティー代表の小原カルデン氏は「日本の皆さんに、チベットの人権問題について少しでも関心を持ってもらいたい」と訴えた。集会には香港や内モンゴル自治区の出身者らも参加した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0a45d2e6e2f1b7e879d21fd02740513f6d8e9a6 >>23
>当時、自分たちの政治的動機のために「利用」した訳だろ?
マジでフリーチベットデモに参加した立場で言うとな
2008年当時は自民党福田政権批判で盛り上がり、次は民主党政権だと2ちゃんでも言っていた
代々木で大規模な集会とチベットデモがあった
モーリーロバートソン司会でな。そのときに登壇したのが民主党の枝野と
ルーピー鳩山もダライラマとのツーショット写真を見せびらかしチベット支援者をアピールしていた
しかし民主党政権になるとチベット支援に残った議員は牧野セイシュウだけ
そして牧野も内ゲバで潰される。原発再稼動スイッチを押す役をやって左翼の支援者も離れた
で後から聞いた話しだがチベットデモで民主党は何をやっていたのか?
じつは選挙スタッフの勧誘の場になっていた。民主党政権はチベット問題を解決する
そして右翼にチベットを利用させるなと言ってな
でも逆に民主党や左翼がチベット利用していた
今のチベット議連のメンバーは自民党。会長は下村博文
ウイグル議連とメンバーは重なる
辞任した直後に安倍は日本の亡命政府の代表と会談した
それが10年以上見てきた真実だな >>1
田中英道「アイヌは”先住民族”ではありえない」第63回 日本国史学会 連続講演会 2019年2月9日 拓殖大学
Hidemichi Tanaka
http://y2u.be/wKHtdY4GqeU
◇田中英道(東北大学名誉教授、当会代表理事)
「12世紀以前の日本史にはアイヌの痕跡が一切存在し無い。」
ハプログループY (mtDNA) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97Y_(mtDNA)
ハプログループY (mtDNA)(ハプログループY (ミトコンドリアDNA)、英: Haplogroup Y (mtDNA))とは、分子人類学で用いられる、人類のミトコンドリアDNAハプログループ(型集団)の分類のうち、
ハプログループNの子型ハプログループN9を祖先に持ち、「8392 10398 14178 14693 16126 16223 16231」の変異により定義されるものである[1]。下位系統はY1とY2にわかれる。
アイヌとオホーツク人
アイヌはハプログープYを持つが、縄文人には全く観察されていない。
いっぽうオホーツク人のなかにハプログループYが確認され、アイヌ民族とオホーツク人との遺伝的共通性が判明した[7]。
結論:アイヌは13世紀頃にオホーツクから渡って来た「後住民族」で有り「侵略者」で有る。先住民族では無い。 日本の古史に登場する人物、縄文系の形質だと思ってる?
ヤマトタケル、坂上田村麻呂、天皇、みんな 「土井ヶ浜弥生人」 の形質だよ
土井ヶ浜弥生人(山口県)
http://www.iokikai.or.jp/doigahama161.jpg
>核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した
長州藩(山口県)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/25/Keiheitai.jpg/880px-Keiheitai.jpg
>山口敏(1987) は, 東日本の古墳人が土井ヶ浜弥生人に強い類似性を示すことから,土井ヶ浜集団の特徴はほぼ8世紀までに東日本にも広がったと結論した
篠田謙一(分子人類学者) 「日本人は弥生時代以降に入ってきた人たちの子孫です、と言うとみんなガッカリする」
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html
本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった
篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」
篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(オスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が武力によって征服したのであれば、ハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期が平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」
弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)
「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんです。弥生人って混血していけば、混血する相手は縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置は、こちらにずれてくるはずなんです。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないと思ったわけです。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
https://livedoor.blogimg.jp/wan_nyan_zanmai-history/imgs/d/0/d0f1e875.png ザイヌ!ザイヌ!と騒ぐが、そもそも桓武天皇と坂上田村麻呂が『在日コリアン』
彼らが中心となって東北アイヌを虐殺した
今日の東北人の顔がのっぺりしてるのは、この2人のせいだと思っていい。ちなみに田村麻呂の嫁(三善氏)も渡来系
>蝦夷征伐(770 - 811)
坂上田村麻呂(758 - 811) 田村麻呂の出自をたどると、中国後漢の霊帝の子孫で、 阿知使主を祖とする東漢氏の一族と伝えている。ところが、阿知使主は朝鮮半島南部から渡来しているので、朝鮮半島系というのが事実のようである。
桓武天皇(737 - 806) 生母である高野新笠は武寧王を祖とする百済系の和氏出身で、桓武の登場によって渡来系氏族は優遇措置がなされることもあった。
>坂上田村麻呂の妻は三善高子(三善清継の娘)。三善氏(みよしし)は、日本の姓氏の1つ。元は渡来人系の一族であるが、百済系と漢族系の2系統が存在する。
学校で子供たちに大ウソを教える日本の教育
「縄文人と弥生人は仲良く混血しました」
→ 倭国大乱から蝦夷征伐まで殺し合いの痕跡多数
「日本はアイヌの地を侵略などしなかった」
→ 記紀に『日高見国の蝦夷を討ち取り、肥沃の地を奪え』という記述あり
日本史のスタート・ポイントからアイヌの地を侵略しつづけている
「人種の入れ替わりはなかった」
→ 核ゲノム解析によると、現代日本人は、弥生90%・縄文10%
弥生時代に人種が入れ替わった
>渡来人は2世紀から、縄文人にはない鉄製の器具、ガラスの装飾品を持って来て、徐々に同化したと思われてきた。
>しかし、青谷上寺地遺跡では、2世紀後半に渡来人がまとまって来て、縄文人と入れ替わった形跡がある。
>そこで発掘された人骨には、矢じりによる殺傷傷があり、戦闘があった。
アイヌは己のルーツを忘れず、最後まで朝廷と戦い続けた魂の民族
関東の東夷(アズマ・エビス)はというと、「偉大なヤマトタケル様が東国を平定し、朝廷の支配に入れたのだ!」などと
侵略された歴史を誇らしげに教えてるのだから笑けてくる
いや、おまえの土地のご先祖様、そのヤマトタケルとかいう関西チョンに殺されてるじゃん
ヤマトタケルの東征(=関東侵略)ルート
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/yamatotakeru.jpg >>1
何だよフリーアイヌ琉球って
どっちも朝鮮中共利権じゃねーか 最近、ウイグル人の陰に隠れて影薄いからなチベット人 >>8
沖縄人じゃなく知事のデニーが中共に支配されたがってる
あと沖縄に入り込んで基地反対やってる在日活動家
中共支配望む連中ってなぜ自分は臓器抜く側になれると思ってるんだろう >>87
中国に支配されたがってるのは中国から金もらった安倍政権だろ 東北エミシの夷語=アイヌ語と同系
東は 「仙台の北の平野の中」 西は 「秋田県、山形県境の山」
それ以南は関東北辺までアイヌ語らしき地名こそあれ、分布が減少しているようである。
この南限線は、畿内型古墳分布のほぼ北限であり、江別 ・後北式土器出土の南限であり
また、郡山遺跡 ・多賀城をはじめ「征夷」戦の前線でもある地域である。
すなわち、「蝦夷」と表記された人々の居住域とアイヌ語地名の分布に大きな共通点が認められ
「蝦夷」の中に 「アイヌ語族」が多かったことを示唆している
すると、古代の蝦夷(えみし)はアイヌ語系統の言葉を話した可能性が高いことになる
東北地方の「ナイ」「ベツ」地名の分布(=アイヌ語・縄文語の話者)
https://livedoor.blogimg.jp/taptior/imgs/d/1/d128dbca.jpg
『東北と北海道のアイヌ語地名考 (1957年刊行)』 概要
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1602414786/294
×「進出して行きました」 ○「侵略して行きました」
>北部九州に先進文化の花を咲かせた渡来人たちは、時には紛争に明け暮れながらも急速にその人口を増やし、中国地方から近畿、あるいはさらに東へと進出して行きました。我々現代日本人の体には、その渡来人達の遺伝子が確実に入り込んでいる、というのが弥生人研究からもたらされた現在の結論です。
頭骨比較 旧石器/縄文/弥生/古墳
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20140829/413347/001.jpg
日本列島は日本アルプスを境に東日本と西日本に分かれます
大昔、その東側にいた人達は「毛人(蝦夷)」と呼ばれていたそうです
マップ画像
https://i.imgur.com/8nR7214.jpg
>倭の五王の1人とされる「武」が中国南朝の宋に出した上表文には「東の毛人(蝦夷)55ヶ国を征す」と記され
>また『旧唐書』日本伝によれば、「日本の東界・北界には大山横切りその外側に毛人が住む」とある。
>この大山こそが現在の日本アルプスでその外側の毛人(即ち毛野国の領域)が住む地を日本でいう東国であると考えられる。 >>50
政府が安全保障の義務を沖縄に集中して押しつけるから、減らしてくれと求めてる 『新唐書』
>明年(*663年)、使者、蝦夷人とともに朝す朝廷に参る。
>蝦夷もまた海島の中に居る。其の使者、髭の長さ四尺許り。
>矢を首にはさみ、人をしてひさごを載せて数十歩に立たしめ、射てあたらざる無し。
蝦夷の特徴として、@ひげが濃いということともに、A弓矢に長じていることを強調している。
髭面多毛な集団が、道南と津軽海峡を行き来し、アイヌと和人の間で交易を行っていた
>東北の大海の中央に「蝦夷ヵ千島」があり「日ノ本」「唐子」「渡党」の3類の蝦夷が群居する
>「日ノ本」と「唐子」は外国に連なり 風貌は夜叉のようであり禽獣・魚肉を食として農耕を行わない そして 言葉はまったく通じない
>「渡党」は和国の人に似て 言葉も大半は通じるが 髭面多毛な人 津軽海峡を往来して交易を行っていたという
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1054536
津軽藩の初代藩主、津軽為信 アイヌと和人の合いの子にしか見えない
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c5/Tugaru_Tamenobu.jpg
津軽のイヨマンテ
青森・秋田・岩手には、今日でも和井内(わいない)、生保内(おぼない)、今別(いまべつ)など、おびただしいアイヌ語地名がある。奥戸(オコッペ=興部)、シレトコ、シラヌカなどよく知られた北海道の地名と同じものもある。
東北アイヌの境遇は、18世紀になると変化する。藩財政の窮乏化に伴って、アイヌの内地人化、農民化の施策がとられるようになった。東北アイヌは、急速に和人化し、民族的特徴を失っていった。
三厩宇鉄村を旅した京都の医師、橘南谿は、当時の風俗を「東遊記」に遺している。
「当地は6、70年前まではエゾ村であったが、今は風俗が変わって日本人の通りになっている。しかし近所の村とは縁組をせず、顔立ちも異なって眉が一文字につながっている女子などもいる。毎年近くの今別村の寺に集まり『蝦夷踊り』を行っている」と述べており、18世紀末にはアイヌの名残を留めながらも和人の世界に同化してしまった様子が描かれている。
陸奥国津軽郡中絵図 津軽半島の\村 = アイヌの地
https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/image/0220205100/0220205100100020/258.jpg >>93
前線だから当たり前だろう。
自衛隊もいらない、米軍もいらないでどうやってシナの脅威から守るんだ?
シナを脅威と思っていないからそういえるんだよ。
沖縄人はシナ人に親しみを持っているし、独立後シナに併合されたいと思っている >>78
人権とか言い出す奴は大体パだろ
保守で人権活動してる人は見たことない >>96
米軍基地は本土で構わない
沖縄に集中したのは国民が嫌がったせい >>99
何を根拠に行っているんだ?
そう思うなら独立してすきにやったらいいだろう >>100
沖縄に安全保障の義務を押しつけといて、いまさら沖縄が負担していた7割もの米軍基地を本土が負担できるの? >>16
いつ不妊手術とかしたの?再教育施設に閉じ込めたか? 喜田貞吉の結論ははっきりしている。 エミシは縄文時代からの列島の住人で、こんにちのアイヌと血脈を通じている。
DNAなど知らないまま、この結論をみちびきだした論理はつぎのようなものである。
>津軽の外が浜に近い頃まで残っていた蝦夷と、今の北海道のアイヌとが、
>同一系統の民族であったことには、いろいろの証拠があります。
>そしてこの外が浜の蝦夷と、歴史時代に奥羽地方に活躍していた蝦夷とが、
>また同一民族の引続きであったことも、十分これを連絡すべき事実があるのであります。
※長文、読む価値あり
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1602414786/396
喜田 貞吉 本州における蝦夷の末路 1928
https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/files/49820_40772.html
東北文化研究 第一巻第四号
「えびす」とはいうまでもなく古史に見ゆる蝦夷、すなわち今日北海道になお約二万の遺?を存するアイヌ族のことなり。
その住所東方にあるがゆえに、あるいはこれを東夷という。
国家の懐柔政策は、なるべく蝦夷を内地諸国に移して、日本民族に同化融合せしめるにありました。
したがって日本国中到る所、蝦夷の血の行き渡っておらぬ地方はありません。
日本各地の住民は、石器時代以来の先住土人の血を保存しているばかりでなく、歴史時代において奥羽から移住した蝦夷の血を、多量に交えているのであります。したがって日本人には毛深いものが多い。
東洋のあらゆる諸民族、また南洋のマライ族にしましても、頬鬚の生えているものは殆どありません。
ただ蝦夷やアイヌのみは、毛人と言われた程に毛深いのを以て特徴としておりますが、日本人に相当鬚の濃いものの多いのは、この蝦夷の血を交えている一つの証拠となりましょう。 みなさんお気づきでしょうが、日本史は北部九州に端を発します
そこから東征などという勝手な大義名分を掲げ、化外のまつろわぬ民 (毛人=アイヌ) を退治しにいくお話なのです
水稲も北部九州から始まりました
なぜか?地図をみればわかります。南朝鮮から来た者たちが日本書紀を編纂したのです
したがって東日本、とくに東北に住んでる者ほど、日本史の矛盾に強烈な違和感を覚えるでしょう
菅氏は秋田県にルーツがあるから親アイヌ派になったのです
https://www.kyushujourneys.com/wp-content/uploads/2017/12/kyushu-asia-japan-map.jpg
佐藤など、名字に「藤」が入ってる人達は高確率でO系
>日本人の中で一番多い姓と言われ、東北地方にその大多数が存在する佐藤氏の男性のY染色体ハプログループを解析した結果
>その殆どがハプログループO1b2(O-P49)の系統に属することが明らかとなった。
>佐藤氏は、近江国(現 滋賀県)三上の山の大百足を退治言われる藤原秀郷の末裔で、後に陸奥国信夫郡に移住した奥州佐藤氏が最も繁栄したと言われる。
>源平合戦の際に源義経の郎党として佐藤継信・佐藤忠信の兄弟が活躍したことにより大いに武名が天下に轟いた。
>佐藤忠信の子孫としては、第61代-63代・内閣総理大臣を歴任し、アジアで初めて「ノーベル平和賞」を受賞した佐藤栄作が著名。
藤原 = ホゼワラ = 百済倭国
>「百済」は百済人の発音ではホゼでフジと発音する「藤」があてられた。
>藤の木は樹齢が1000年以上もある樹勢の強い木でフジの花言葉は一度絡みついたら死ぬまで離さないところから「決して離れない」。
藤原氏のY染色体ハプログループが朝鮮系だと判明
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1543058469/
和人と百済 通訳なしで会話できた 交戦の記録なし
和人と漢人 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と新羅 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と粛慎 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と蝦夷 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と隼人 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人の正体?とっくにご存知なんだろ?
半島南部から来た朝鮮人だよ 川村カ子ト 旭川永山町キンクシベツ生まれ
生い立ち
明治26年、村長の長男として生まれます。
翌年に、道庁は近文にアイヌの付与予定地を確保し住み慣れた土地を追われる。(第七師団設置に伴う措置)
父に「シャモなんぞに負けるな!お前は上川アイヌの村長となる男だ」と励まされ、小学校に通い始めます。
同級生は皆シャモばかり。カ子トは差別を受け、ことあるごとにいじめられます。
陸蒸気と呼ばれた鉄道は、明治の人々の生活を大きく変えようとしていました。
労働者のほとんどは囚人とアイヌで、特にアイヌは山歩きに慣れているうえ半分の賃金で雇うことができるため好都合でした。
紹介状を持って、鉄道事務所を訪れると「試しにトランシットの箱を担いでみろ」「それを担いで山を歩くんだ。お前にできるか」
「できます」13歳で、鉄道の仕事に就くことになりました。
ある時、日給が和人の半額であることを知ります。組長にそのことを尋ねると、「給料をもらえるだけありがたく思え」。
不当な扱いに苦しみながらも測量技手の資格を取るための勉強を始めました。
鉄道省に任命され、鉄道建設の先頭に立つことになりました。川村カ子トの名は、鉄道関係者の間に広まっていきました。
現場監督となると、全国から寄せ集めの荒くれ者たちを指揮しなければならない。ついに恐れていた事件が起こりました。
トンネル工事現場で、岩盤の裂け目から水が噴出、「裂け目をコンクリートでふさげ」
カ子トの体に激痛が走りました。つるはしで殴られたのです。
「おまえなんかにこき使われるのはまっぴらだ。コンクリートと一緒に埋めてしまえ」
「俺を殺そうというのか。それで気が済むのならそうすればいい。本当に哀れなのはお前たちの方だ」
その言葉に男たちの手が止まります。
「俺は測量に命を張ってきたし、アイヌ民族であることにも誇りを持っている。
俺を殺すのがお前たちの誇りだというのならコンクリートを流し込め。それを自分たちの妻や子に胸を張って伝えるがいい」
この事件以降、カ子トに尊敬の念を抱くようになりました。昭和52年、84歳の生涯を旭川で終えました。
https://hokkaido-viewpoint.com/wp-content/uploads/2020/01/7d491ef0b66ea05230a00418bc2e1506.jpg >>16
ウイグル チベットを臓器牧場にしてる中国の事か? >>105
一人っ子政策すら知らないのならしゃしゃり出てくんなよ 別所 (地名解釈)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1194740
菊池山哉は、全国の土地を歩き『別所と俘囚』を書きました。
別所は、山間の僻地にあることも多く、交通網の発達していない時代ですから、まさに自分の足で歩き廻ったのです。
そして別所こそ「蝦夷の俘囚を移配した土地」であるという結論に達しました。
別所には、東光寺と白山神社が多く見られることも記しています。
白山神社に加えて、慈覚大師の建立したという伝説のある東光寺は、被差別部落(エタ系)にも多く見られます。
養老のように、別所と部落が隣合わせのところも多いのです。
鉄と浮囚の古代史・・・蝦夷「征伐」と別所(1989) 柴田弘武
>『別所という地名について、菊池山哉の唱えた「俘囚の移配地」説が最も妥当だと考えている。山間僻地に多く、そこに東光寺、薬師堂、白山神社(本地仏十一面観音)を祭り、また慈覚大師円仁の伝承を伝えるなど、多くの共通要素を備えている。』
>『白山信仰は奥羽において一般的なものであり、奥州俘囚長の藤原基衡が建立した毛越寺・吉祥堂の本尊は、京都大原の別所にあった補陀落寺の本尊を模したという事実(『吾妻鏡』)からみて、別所と奥羽俘囚の関係は明らかである。蝦夷征伐は東北の鉱産資源、なかんずく産鉄労働力の確保にあったといえる。』
>蝦夷征伐による捕虜を俘囚と呼び、全国各地の産鉄地において労働者として従事させた、その地が「別所」だというのである。その際、産鉄作業の技術を指導し、俘囚を束ねたのは、秦一族であった。
Fig. 54 Bessyo (別所)
https://2.bp.blogspot.com/-5fSfJOvbDDA/V2J1-AjPwJI/AAAAAAAAVqs/x4imEILSPqor3VaGqT8O9YEPrup47CVBQCLcB/s0/img6702-02.png
塩見鮮一郎の「別所とエタ系部落」から引用します。
「部落民は、朝鮮半島からきた人たちではなく、東北地方の人たちと同じ形質をしている、ということだ。〜中略〜この調査の結果どおりならば、部落の起源は、移配されたエミシということになる」
https://i.imgur.com/w7Etv9L.jpg エタの起源 = 狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々
935年に編纂された『和名類聚抄』は、屠児の訓を「恵止利(えとり)」とした上で、牛馬を屠り肉を取り鷹?の餌とするの義なり、と解説している。1275年に編纂された『名語記』には「河原の辺に住して牛馬を食する人をゑたとなつく、如何」「ゑたは餌取也。ゑとりをゑたといへる也」とある。
穢多は、元々「えとり」であり、塵袋にあるように、旃陀羅、すなわち狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々を指した。居住していたのは村外れや川の側など、農業に適さない場所であった。穢多は居住地が地図に表示されないなどの差別を受けた。
https://ja.wikipedia.org/?curid=114173
1890年代に、人類学者・鳥居龍蔵は、 東京・関西・四国等の被差別部落民の外形を調査
「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信ずるに足らざるなり」として朝鮮人説を完全に否定
頭長で蒙古眼がみられないという特徴は、アイヌなどの古モンゴロイド(縄文人)のそれと一致する。
戦後になると、大阪大学教授の小浜基次が、47の被差別部落を含む全国的な調査を行ない
形質人類学により、被差別部落民は形質的に東北人と一致していると結論づけた。
福岡県の部落出身 松本治一郎(多毛・福耳)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/Jiichiro_Matsumoto.JPG
奈良県の部落出身 米田庄太郎(多毛・福耳)
https://pbs.twimg.com/media/EQYjXmhU4AImj7s.jpg アイヌを絶滅させて和人が乗っ取った島
粟島 (新潟県)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=145642
>古代の粟島は史料が残っていないためよくわかっていないが、以下のような伝承がある。
>粟島では、弥生から古墳文化が確認されておらず、和人が入るまでの長い間、蝦夷の地とされていたと考えられている。
>地名にもアイヌ語に由来するものが確認される。
>九世紀初め、北九州の松浦党の一族が上陸し、蝦夷を西海岸(釜谷地区)へ追い払って生活するようになった。
>今度は越前国の本保氏一族が上陸し、松浦一族を西海岸へ追い払い、そこで住むようになった。
>松浦一族は蝦夷を北に追い払い、西海岸を拠点とした。やがて蝦夷は絶滅し、本保一族と松浦一族のみが島には残った。
茨城県の名前の由来 = アイヌ虐殺
>古老の話では、その昔、このあたりには朝廷の命に従わない土着の民がいました。
>その者たちは、野の佐伯とか山の佐伯と呼ばれていて、山や野に穴をほって住んでいました。
>人が来ると隠れて、いなくなると外に出て遊ぶ。
>そんな生活をしながら、ときに人のものを盗んだり乱暴なことをしました。
>佐伯はずる賢くて人の話を聞かなかったので、土地の人からとても嫌われていました。
>そこで、大臣の一族である黒坂命が朝廷から派遣されました。
>黒坂命は、佐伯が外に出ている隙に穴の出入り口を茨の枝で塞ぎ、兵士たちに馬を使わせて佐伯を奇襲しました。
>佐伯はすぐに穴に逃げ帰りましたが、慌てていたので茨が体中に突き刺さり、傷だらけになったものや死んでしまったものがいました。
>ぼろぼろになった佐伯は散り散りになって、土地からいなくなりました。
>この地は茨によって佐伯を退治したことから、県の名称にしたといいます。
※蝦夷を古語に佐伯と申す 長脛彦のアイヌ語名はイシキリさん
>石切剣箭神社
>神社の公式な見解には無いが、「石切さんは長髄彦と深いかかわりがある。」「石切さんには長髄彦がお祀りしてある。」等の口伝があるという[2]。
>進藤は「石切」の音を i-si-kir・i と分解しアイヌ語で解釈することで、「長髄彦」と訳出可能であることを指摘する[3]。
>同じ結論を大山元も指摘しており、「石切」 i-si-kiri はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるという[4]。
兄宇迦斯は、奈良県のアテルイです
侵略者(神武天皇)から祖国を守ろうとした英雄たちの名を忘れないようにしましょう
…アイヌ語で「伯父・長老」を「エカシ」というが、語源は同じ
>宇賀神社
>かつては、神武東征の伝承に登場する大和の豪族、兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)を祭ったという説もある。
>神社の裏には、血原川という川が流れているが、この血原は「古事記」の神武東征伝承にまつわる地名。
>神武天皇は宇陀に入り、この地を支配していた兄弟に使者を出して自分に仕えるかどうか尋ねた。
>兄宇迦斯は使者を射殺し、表向きは従うふりをしつつ軍を集めて迎え撃とうとする。
>弟宇迦斯は神武天皇に兄の裏切りを伝え、兄宇迦斯が討たれて血が流れたことから血原という地名がついたという。
http://kamnavi.jp/as/uda/ugaugaj4.jpg
710年の朝貢の儀式では、天皇が大極殿に出御し、エミシとハヤトを参列させた。
その時の様子は、皇城門外の朱雀路の東西に騎兵が整列する中、左右の将軍・副将軍がエミシとハヤトを率いて行進するという
一種の見せ物的なパレードであった。(『続日本紀』和銅3年正月元日の条)
エミシとハヤトは「蛮夷」とされ、天皇の権威と支配拡大の誇示に、屈辱的な形で利用されたのである。 >>1
五毛かパヨか知らんがうぜーな。
中国で現在進行形の虐殺/民族浄を日本の過去の穏便な宥和政策と同列に扱うな。 今現在、琉球アイヌ差別はないよね
あることにしたいマイノリティーを除いて >>75
人としてどうかしてるからパヨクなんだから止めたらパヨクじゃなくなっちゃうじゃん >>123
中共も自民党もウイグル人差別なんて無いと言ってるぞ >>1
【悲報】EU、中国に制裁へ ウイグル族へのジェノサイド(民族大量虐殺)容疑で
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1615588937/
パヨク在日ゴキブリがデマスレ立てて泣き叫んでる間にも、どんどん外堀が埋まっていく 古代ゲノムデータに基づくアジア東部各地域集団の形成史に関する研究(Wang et al., 2021)が公表されました。
この研究はオンライン版での先行公開となります。
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_15.html アイヌはだれでも実態を調査できる
ウィグルはできない
それがすべて。 今まさに民族浄化されてるチベットウイグルを利用するとか正気か 日本人は縄文人なんだからハワイやネイティブ・アメリカンと纏まる必要があるんじゃない? 1959年3月28日、当時の周恩来総理は中華人民共和国国務院令に調印し、
チベット地方政府の解散を宣言し、
チベット地方政府の職権をチベット自治区準備委員会が行使することを発表した。
チベットの100万人の農奴は中国共産党の指導の下、解放されて立ち上がり、
正真正銘の主人となった。
中国人権史上の偉大な出来事であるとともに、
世界人権史上に残る重要な出来事ともなった。
http://j.people.com.cn/94478/96695/6615159.html
中国共産党はチベット100万人農奴をフリーにしたアルヨ なぜかアイヌの価値観が半島ソックリ
差別の当たり屋始めました状態
昔からと言うけれど史料がまったくない差別
50年以上北海道に住んでる人もまったく知らない価値観で差別ニダと騒ぎだす
アイヌの文化って半島とそっくりなんだね
どうしてなんだろう? >>130
どういうことなのかわかりやすく説明してくれ 日本にいた先住民のうち後から来た人と混血した人たちと
混血しなかった人たちがいて
アイヌは比較的混血しなかった人たちってことだろ
混血した人たちが今の日本人だから
日本人=日本の先住民ということだろ? >>137
じゃなんでチベット人は亡命ダライ・ラマを支持してんだよ白痴くん
中共プロパガンダを鵜呑みにする知恵遅れは黙っとき >>103
じゃあ独立したら、そうすれば前線は九州になる九州は過疎地があるから十分対応できるよ >>142
支持してたっけ?
ダライ・ラマってテロリストやん >>143
沖縄の独立を願ってるのはネトウヨだし
安全保障義務の負担がイヤなので、沖縄に米軍基地を閉じ込めたいのがネトウヨ >>128
ここまで追い詰められたら自民党も終わりだな
これからは本当の保守の時代だ 小野寺まさる氏の発言ですが、鎌倉時代後期に北海道に南下してきた好戦的な民族が、縄文時代以来北海道に居住し続けてきた人々を征服し、女性と子供たちは殺さず、女性たちに子供を産ませたとすると、確かに「縄文人」のDNAが現代アイヌに継承されます。しかし、そもそもこのような見解を提示している専門家は、現在ではまず間違いなくいないでしょう。
小野寺氏の想定では、現代アイヌ集団に「縄文人」由来のY染色体ハプログループ(YHg)を継承している人はほとんどいないことになります。しかし、「縄文人」由来と考えられるYHg-Dの割合は現代アイヌ集団では81.3%と高く、小野寺氏の想定とは矛盾します。
YHgおよびmtHgの分析と考古学的記録を併せて考えると、アイヌ集団が「本土」の鎌倉時代に南下してきた集団に征服され、本質的には「外来」集団であるというような見解は的外れで、むしろ逆に、縄文時代からの北海道在来集団が、オホーツク文化集団など外部集団に対して優位に立つ傾向にあり、そうした外部集団からの遺伝的・文化的影響を受けつつ、アイヌ集団が形成されていった、と考える方が妥当だと思われます。
現代アイヌ集団が縄文人DNAを後天的に獲得したのは間違いない、と道庁が答えた、との小野寺氏の発言はどう考えるべきでしょうか。検索してみたところ、これは2012年の北海道議会第4回予算特別委員会第1分科会でのやり取りに基づいているようです。
文化・スポーツ担当局長の山田享氏は「アイヌの人々は、縄文の人々の単純な子孫ではないとする学説が有力」と述べていますが、これに対して、「単純な子孫ではない」から「関係ない」と小野寺氏は述べていますが、あまりにも的外れで呆れてしまいます。山田氏は現代アイヌ集団が北海道「縄文人」の「単純な子孫」ではない、と述べているだけで、「関係ない」とは言っていません。山田氏の答弁からは、現代アイヌ集団は北海道「縄文人」と関係がある、と解釈するのが妥当でしょう。
小野寺氏はTwitterでも以前、アイヌの縄文のDNAは後天的なDNAと北海道が議会答弁で明らかにしていますよ?と発言していますが、山田氏の答弁からは、むしろ北海道「縄文人」が外部集団と交雑していったと解釈するのが妥当で、現代アイヌ集団の「縄文のDNA」は、逆に「先天的」にあった、と言うべきでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_30.html 多くの日本人はアイヌ文化に興味が無いだけで
別に無くそうとも迫害しようともなんとも思ってないんだよなぁ…
まぁ結果としてそのままじゃ滅びちゃうんだろうけど 土人でケッコーコケコッコー
高みの見物
byおきなわ フリーアイヌ?
本当のアイヌの人は普通に就職して普通に仕事して日本人と同じ暮らしして特に迫害されてないけど
どっかの火病持ちと違ってキーキー騒がないよ アイヌとおきなわは兄弟です。
顔見りゃわかる。↓指摘すると
なぜだかネトウヨが怒る アイヌの不思議なところは日本以外に住むアイヌにまったく興味がないことと思考が半島人にソックリなこと なんにもおかしくないよね
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