【重要】

1700年前まで関東はアイヌモシリでした
 340年頃 北陸・東方諸国を視察 武内宿禰は日高見国の蝦夷のことを報告 攻略を勧める
 340年頃 東国の蝦夷が謀反し、日本武尊を派遣
 478年 (宋書) "東の毛人(蝦夷)55ヶ国を征す"

1200年前まで東北はアイヌモシリでした
 618年 (旧唐書) "日本の東界・北界には大山(日本アルプス)横切りその外側に毛人が住む"
 659年 (新唐書) "蝦夷もまた海島の中に居る 其の使者 髭の長さ四尺許り"
 797年 坂上田村麻呂 征夷大将軍
 802年 蝦夷の総帥アテルイの降伏を報告 アテルイらを河内にて処刑

300年前まで津軽はアイヌモシリでした
 1356年 (諏訪大明神絵詞) "『渡党』は和国の人に似て 言葉も大半は通じるが 髭面多毛な人"
 1784年 (東遊記) "当地は6,70年前まではエゾ村であったが,今は風俗が変わって日本人の通りになっている"

150年前まで北海道はアイヌモシリでした
 1869年 明治政府は「北加伊道」を基本とし「加伊」を「海」に改めた「北海道」とすることを決定


松浦武四郎は、天塩川流域を探査している時に、あるアイヌの村の長老に、「カイとは古いアイヌ語で、〈この土地に生まれた者〉」と教えられます。それで、〈北〉〈カイ〉〈道〉。北加伊道は北蝦夷道というのと同じである。すなわちアイヌの国を意味している。

児島恭子は「元代の骨鬼、明代の苦冗、苦夷、清代の庫野、庫貢、庫葉などは、蝦夷と音が近いkuye、kui、koe、kughi」であるとし
「現代でもアムール川下流やサハリン住民のうちトゥングース・満州系諸族がkui、 ニヴヒがkuyiと呼んでいる民族がアイヌである」点から
「蝦夷(カイ)」は中国においてアイヌの先祖を音訳によって表記し、それが日本にもたらされたものと考える

平安初期の「弘仁私記」の序にも、蝦夷に「カイ」とルビをふっている。平安末の「伊呂波字類抄」にも、カイの条に「蝦夷」とある

日本の東北にいる異族のことを、古い時代には「毛人(エミシ)」と書いていた。その後、斉明天皇の時代に支那からの帰化人で遣唐使の通弁として随行した伊吉博徳が、初めてこの種族を「蝦夷(カイ)」と書いた。

喜田貞吉の日本民族概念
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