長脛彦のアイヌ語名はイシキリさん

>石切剣箭神社
>神社の公式な見解には無いが、「石切さんは長髄彦と深いかかわりがある。」「石切さんには長髄彦がお祀りしてある。」等の口伝があるという[2]。
>進藤は「石切」の音を i-si-kir・i と分解しアイヌ語で解釈することで、「長髄彦」と訳出可能であることを指摘する[3]。
>同じ結論を大山元も指摘しており、「石切」 i-si-kiri はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるという[4]。


兄宇迦斯は、奈良県のアテルイです 
侵略者(神武天皇)から祖国を守ろうとした英雄たちの名を忘れないようにしましょう

…アイヌ語で「伯父・長老」を「エカシ」というが、語源は同じ

>宇賀神社
>かつては、神武東征の伝承に登場する大和の豪族、兄宇迦斯(えうかし)と弟宇迦斯(おとうかし)を祭ったという説もある。
>神社の裏には、血原川という川が流れているが、この血原は「古事記」の神武東征伝承にまつわる地名。
>神武天皇は宇陀に入り、この地を支配していた兄弟に使者を出して自分に仕えるかどうか尋ねた。
>兄宇迦斯は使者を射殺し、表向きは従うふりをしつつ軍を集めて迎え撃とうとする。
>弟宇迦斯は神武天皇に兄の裏切りを伝え、兄宇迦斯が討たれて血が流れたことから血原という地名がついたという。

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710年の朝貢の儀式では、天皇が大極殿に出御し、エミシとハヤトを参列させた。

その時の様子は、皇城門外の朱雀路の東西に騎兵が整列する中、左右の将軍・副将軍がエミシとハヤトを率いて行進するという
一種の見せ物的なパレードであった。(『続日本紀』和銅3年正月元日の条)

エミシとハヤトは「蛮夷」とされ、天皇の権威と支配拡大の誇示に、屈辱的な形で利用されたのである。