アイヌを絶滅させて和人が乗っ取った島

粟島 (新潟県)
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>古代の粟島は史料が残っていないためよくわかっていないが、以下のような伝承がある。

>粟島では、弥生から古墳文化が確認されておらず、和人が入るまでの長い間、蝦夷の地とされていたと考えられている。
>地名にもアイヌ語に由来するものが確認される。

>九世紀初め、北九州の松浦党の一族が上陸し、蝦夷を西海岸(釜谷地区)へ追い払って生活するようになった。
>今度は越前国の本保氏一族が上陸し、松浦一族を西海岸へ追い払い、そこで住むようになった。
>松浦一族は蝦夷を北に追い払い、西海岸を拠点とした。やがて蝦夷は絶滅し、本保一族と松浦一族のみが島には残った。


茨城県の名前の由来 = アイヌ虐殺

>古老の話では、その昔、このあたりには朝廷の命に従わない土着の民がいました。
>その者たちは、野の佐伯とか山の佐伯と呼ばれていて、山や野に穴をほって住んでいました。
>人が来ると隠れて、いなくなると外に出て遊ぶ。
>そんな生活をしながら、ときに人のものを盗んだり乱暴なことをしました。
>佐伯はずる賢くて人の話を聞かなかったので、土地の人からとても嫌われていました。

>そこで、大臣の一族である黒坂命が朝廷から派遣されました。
>黒坂命は、佐伯が外に出ている隙に穴の出入り口を茨の枝で塞ぎ、兵士たちに馬を使わせて佐伯を奇襲しました。
>佐伯はすぐに穴に逃げ帰りましたが、慌てていたので茨が体中に突き刺さり、傷だらけになったものや死んでしまったものがいました。
>ぼろぼろになった佐伯は散り散りになって、土地からいなくなりました。

>この地は茨によって佐伯を退治したことから、県の名称にしたといいます。

※蝦夷を古語に佐伯と申す