エタの起源 = 狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々

935年に編纂された『和名類聚抄』は、屠児の訓を「恵止利(えとり)」とした上で、牛馬を屠り肉を取り鷹?の餌とするの義なり、と解説している。1275年に編纂された『名語記』には「河原の辺に住して牛馬を食する人をゑたとなつく、如何」「ゑたは餌取也。ゑとりをゑたといへる也」とある。

穢多は、元々「えとり」であり、塵袋にあるように、旃陀羅、すなわち狩猟文化と密接な関係を持つ異文化の人々を指した。居住していたのは村外れや川の側など、農業に適さない場所であった。穢多は居住地が地図に表示されないなどの差別を受けた。

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1890年代に、人類学者・鳥居龍蔵は、 東京・関西・四国等の被差別部落民の外形を調査

「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信ずるに足らざるなり」として朝鮮人説を完全に否定
頭長で蒙古眼がみられないという特徴は、アイヌなどの古モンゴロイド(縄文人)のそれと一致する。

戦後になると、大阪大学教授の小浜基次が、47の被差別部落を含む全国的な調査を行ない
形質人類学により、被差別部落民は形質的に東北人と一致していると結論づけた。

福岡県の部落出身 松本治一郎(多毛・福耳)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cd/Jiichiro_Matsumoto.JPG

奈良県の部落出身 米田庄太郎(多毛・福耳)
https://pbs.twimg.com/media/EQYjXmhU4AImj7s.jpg