別所 (地名解釈)
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菊池山哉は、全国の土地を歩き『別所と俘囚』を書きました。
別所は、山間の僻地にあることも多く、交通網の発達していない時代ですから、まさに自分の足で歩き廻ったのです。
そして別所こそ「蝦夷の俘囚を移配した土地」であるという結論に達しました。

別所には、東光寺と白山神社が多く見られることも記しています。
白山神社に加えて、慈覚大師の建立したという伝説のある東光寺は、被差別部落(エタ系)にも多く見られます。
養老のように、別所と部落が隣合わせのところも多いのです。


鉄と浮囚の古代史・・・蝦夷「征伐」と別所(1989) 柴田弘武

>『別所という地名について、菊池山哉の唱えた「俘囚の移配地」説が最も妥当だと考えている。山間僻地に多く、そこに東光寺、薬師堂、白山神社(本地仏十一面観音)を祭り、また慈覚大師円仁の伝承を伝えるなど、多くの共通要素を備えている。』

>『白山信仰は奥羽において一般的なものであり、奥州俘囚長の藤原基衡が建立した毛越寺・吉祥堂の本尊は、京都大原の別所にあった補陀落寺の本尊を模したという事実(『吾妻鏡』)からみて、別所と奥羽俘囚の関係は明らかである。蝦夷征伐は東北の鉱産資源、なかんずく産鉄労働力の確保にあったといえる。』

>蝦夷征伐による捕虜を俘囚と呼び、全国各地の産鉄地において労働者として従事させた、その地が「別所」だというのである。その際、産鉄作業の技術を指導し、俘囚を束ねたのは、秦一族であった。

Fig. 54 Bessyo (別所)
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塩見鮮一郎の「別所とエタ系部落」から引用します。

「部落民は、朝鮮半島からきた人たちではなく、東北地方の人たちと同じ形質をしている、ということだ。〜中略〜この調査の結果どおりならば、部落の起源は、移配されたエミシということになる」

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