みなさんお気づきでしょうが、日本史は北部九州に端を発します
そこから東征などという勝手な大義名分を掲げ、化外のまつろわぬ民 (毛人=アイヌ) を退治しにいくお話なのです
水稲も北部九州から始まりました

なぜか?地図をみればわかります。南朝鮮から来た者たちが日本書紀を編纂したのです
したがって東日本、とくに東北に住んでる者ほど、日本史の矛盾に強烈な違和感を覚えるでしょう
菅氏は秋田県にルーツがあるから親アイヌ派になったのです

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佐藤など、名字に「藤」が入ってる人達は高確率でO系

>日本人の中で一番多い姓と言われ、東北地方にその大多数が存在する佐藤氏の男性のY染色体ハプログループを解析した結果
>その殆どがハプログループO1b2(O-P49)の系統に属することが明らかとなった。
>佐藤氏は、近江国(現 滋賀県)三上の山の大百足を退治言われる藤原秀郷の末裔で、後に陸奥国信夫郡に移住した奥州佐藤氏が最も繁栄したと言われる。
>源平合戦の際に源義経の郎党として佐藤継信・佐藤忠信の兄弟が活躍したことにより大いに武名が天下に轟いた。
>佐藤忠信の子孫としては、第61代-63代・内閣総理大臣を歴任し、アジアで初めて「ノーベル平和賞」を受賞した佐藤栄作が著名。

藤原 = ホゼワラ = 百済倭国

>「百済」は百済人の発音ではホゼでフジと発音する「藤」があてられた。
>藤の木は樹齢が1000年以上もある樹勢の強い木でフジの花言葉は一度絡みついたら死ぬまで離さないところから「決して離れない」。

藤原氏のY染色体ハプログループが朝鮮系だと判明
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1543058469/


和人と百済 通訳なしで会話できた 交戦の記録なし
和人と漢人 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と新羅 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と粛慎 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と蝦夷 通訳が必要だった 交戦の記録あり
和人と隼人 通訳が必要だった 交戦の記録あり

和人の正体?とっくにご存知なんだろ?
半島南部から来た朝鮮人だよ