川村カ子ト 旭川永山町キンクシベツ生まれ

生い立ち
 明治26年、村長の長男として生まれます。
 翌年に、道庁は近文にアイヌの付与予定地を確保し住み慣れた土地を追われる。(第七師団設置に伴う措置)

 父に「シャモなんぞに負けるな!お前は上川アイヌの村長となる男だ」と励まされ、小学校に通い始めます。
 同級生は皆シャモばかり。カ子トは差別を受け、ことあるごとにいじめられます。

 陸蒸気と呼ばれた鉄道は、明治の人々の生活を大きく変えようとしていました。
 労働者のほとんどは囚人とアイヌで、特にアイヌは山歩きに慣れているうえ半分の賃金で雇うことができるため好都合でした。

 紹介状を持って、鉄道事務所を訪れると「試しにトランシットの箱を担いでみろ」「それを担いで山を歩くんだ。お前にできるか」
 「できます」13歳で、鉄道の仕事に就くことになりました。

 ある時、日給が和人の半額であることを知ります。組長にそのことを尋ねると、「給料をもらえるだけありがたく思え」。
 不当な扱いに苦しみながらも測量技手の資格を取るための勉強を始めました。
 鉄道省に任命され、鉄道建設の先頭に立つことになりました。川村カ子トの名は、鉄道関係者の間に広まっていきました。

 現場監督となると、全国から寄せ集めの荒くれ者たちを指揮しなければならない。ついに恐れていた事件が起こりました。
 トンネル工事現場で、岩盤の裂け目から水が噴出、「裂け目をコンクリートでふさげ」
 カ子トの体に激痛が走りました。つるはしで殴られたのです。

 「おまえなんかにこき使われるのはまっぴらだ。コンクリートと一緒に埋めてしまえ」
 「俺を殺そうというのか。それで気が済むのならそうすればいい。本当に哀れなのはお前たちの方だ」
 その言葉に男たちの手が止まります。
 「俺は測量に命を張ってきたし、アイヌ民族であることにも誇りを持っている。
 俺を殺すのがお前たちの誇りだというのならコンクリートを流し込め。それを自分たちの妻や子に胸を張って伝えるがいい」

 この事件以降、カ子トに尊敬の念を抱くようになりました。昭和52年、84歳の生涯を旭川で終えました。

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