>>413
失脚初期の状態よな
ジャック・マーも今頃こんな感じかな…

失脚
劉は造反派に屈することはなく、論戦を吹っかけてきた彼らに対しその論理の矛盾をついて黙らせるなどしたが、造反派はその後執務室の電話線を切断した[7]。これにより、劉は外部との連絡を絶たれてしまう。
ある日、毛派に指示された紅衛兵が劉の自宅に乱入し、劉とその家族に暴行を加えたとき、
劉は中華人民共和国憲法を手にして「私はこの憲法に書いてある国家主席だ。あなたたちは今、
国を侮辱している」と叫んだが、リンチから逃れることはできなかった

最期
自宅監禁状態であった劉は病の床に就くが、散髪、入浴ともに許されず、警備員からも執拗な暴行や暴言を受けた。劉の部屋には劉を非難するスローガンを記した紙が壁中に貼り付けられた。治療する医師からは、病状の回復のためにはがす提案もされたが受け入れられなかった。上記の党からの除名は劉の誕生日にラジオで放送され、劉はそれを聞くことを強要された。それ以降、劉は言葉を発しなくなった。過去の病歴のため劉はいくつかの薬を常用していたが、それも取り上げられた。多くの歯は抜け落ち、食事や服を着るのにも非常に長い時間がかかった。1968年夏に高熱を発した後はベッドに横たわる状態となったが、身のまわりの世話をする者はなく、衣服の取替えや排泄物の処理などもされない状態であった