【近代史】日本共産党は「武装革命」を目指していた 一部分派の過ちとしているが…否定できない“黒い闇の歴史”
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 日本共産党の歴史について振り返れば、戦前に暴力革命路線を取っていたことが有名だが、戦後においても1950年代に過激な武装闘争路線を取っていたことでも知られる。

 朝鮮戦争の勃発(50年)に際し、ソ連のスターリンが後方攪乱(かくらん)のために日本共産党に武装闘争路線を命じたのだ。
この指令に従って、新たに発表されたのが「1951年テーゼ(51年綱領)」である。
この中で、日本共産党は「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」と明言し、武力革命の必要性を説いた。

 現在、この50年代の武装闘争路線の歴史は日本共産党にとって漆黒の闇のような歴史となっており、あくまで一部の分派が行った過ちだったとしている。
しかしながら、日本共産党の名の下で出されたテーゼであることは否定のできない事実である。

 現在、「議会で多数を得ての平和的変革こそ日本共産党の一貫した立場」(2月14日、『しんぶん赤旗』電子版)などと主張し、
「日本共産党は、『暴力主義的破壊活動』の方針なるものを、党の正規の方針として持ったり、実行したりしたことは、ただの一度もありません」と説明している。

 しかし、この50年代の黒い闇の歴史を分派の責任に負わせ、自分たちは無責任だとするのは無理があるだろう。

 ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領の「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」との言葉を引用しながら、過去の日本軍の残虐行為を反省せよと唱える「リベラル」が多い。
だが、彼らは日本共産党の過去には目を閉ざし、盲目的に野党共闘を目指そうとする。

夕刊フジ 2020/2/27(木) 16:56
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