>>106
北海道新聞社社会部次長「被害は大きく、死者は多い」
1945(昭和20)年7月14日、アメリカ機動部隊は襟裳岬沖に現れ、北海道空襲、翌日には艦砲射撃を開始しました。
ユダヤアメリカは人であれば民間人であろうと、船ならば一隻の漁船であろうと、無差別に攻撃しました。

また釧路市に対してはペリリュー島やトラック島のようにまずガソリンを巻いて銃撃したため、大火により1000戸の家屋が焼失しました。

このようにサヨクは徹底的に日本人を殺戮したのですから
日本人はサヨクの「朝鮮半島有事による朝鮮難民を日本は受け入れろ」と要求を飲む必要はありません。

その人権やら人道やらの美名に隠れているのは「日本覆滅」という彼らの野望なのですから。

【ペリリュー島の戦い】
米軍は島全体にガソリンをまき砲弾を撃ち込んで日本兵を焼き殺した。