>>576
1890年(明治23年)には、先住民の人口は20万人にまで減少した。
この残虐な行為をアメリカ史では、アメリカ人の勇敢な開拓者精神、パイオニア精神の発揮と誇っている。

この西部侵略が東から西へと向かい太平洋岸に達した時、
今度はその矛先を太平洋に向け、ハワイ、グァム、フィリピンと進み、ついに日本列島に達したのが大東亜戦争であった。
したがって、この戦争もアメリカの一貫した西部へ西部への侵略戦争の延長とみることができる。

アメリカはわずか半世紀の間に、先住民を亡ぼし、大陸の覇権を確立していった。
今度は侵略の矛先を西から南に転じ、メキシコと戦端を開くにあたって、
有名な「アラモの砦を忘れるな」の合言葉を以って戦意高揚を図った。
これは後の「真珠湾を忘れるな」に通ずる、
アメリカ侵略戦争開始の常套手段となっていった。